科学者と良心(山下教授)
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みなさん、こんにちは。
昨年度、世間を騒がせた話題の一つが「科学における捏造」でした。
数々の優れた研究や発見も、多くの科学者が類似の研究を進める中である一人の研究者の独創的な発想によって成し遂げられます。その過程では多くの他の研究者が同じ現象を見ていたかもしれませんが、ちょっとした変化に気を留めたかどうかが成否の分かれ目となります。科学は自然という客観的事象を対象とした学問でありながら、科学者という主観が非常に重要な役割を果たしているのです。
ところが、科学の研究は極めて客観的に遂行されなければならない、というルールがあります。自分の主観で意見を述べるのではなく、誰もが共通で観察できる客観的事実に基づいてのみ議論されるのです。たとえば、お医者さんは患者を診ながら聞いたこと、観察したことを逐一カルテに記入してゆきます。これと同様に、科学者も実験の過程をこと細かく実験ノートに記し、論文ではそれを忠実に公開するのです。実験結果が生まれるまでの過程を世界中の科学者と共有して客観的な議論をすることによって絶対的な真実に迫ろうとするのが現代の科学の方法論なのです。
もし誰かが優れた機能をもつ分子を合成したとしても、その合成過程が実験ノートに記されていなければ真実ではないと考えるのが科学です。(実験者は自分で合成したと主張するかもしれませんが、ノートに書いてなければどっかから盗んできたのかもしれないからです)。幽霊は本当に存在するのかもしれませんが、誰かが見た幽霊を他の科学者も同じように確認できなければ科学的には議論できないと考えるのです。
ところが、不思議なことに20年に一度は科学の世界に大事件がおこっています。データの解釈の間違いや科学技術の限界に起因する間違いもあれば、意図的な捏造による事件もあります。 1967年のポリウォーター事件、1989年には常温核融合、そして昨年のSTAP細胞です。(これらについては、別の記事で顛末をご紹介したいと思いますが、各自調べてみても面白いですよ)
学生は一人前の科学者になるために、大学で科学者としての考え方、研究の進め方の基本、そして科学の世界でのルールを身に着けてゆきます。学生諸君が基礎を学び研究の世界に足を踏み入れた後、細心の注意を払って測定したデータをまず批判するのは自分自身です。自分が見たものは自分にとって真実と思えるかもしれませんが、あらゆる他の可能性を仮定して、まず自分自身で客観的なものの見方をしなければならないのです。
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