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大学院のすすめ-3 「片桐個人の博士号取得理由」(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

11  私は皆さんに大学院への進学を強く勧めます。少なくとも修士、可能なら博士号の取得をお勧めします。今回は、なぜ博士まで進学したかについて、私(わたくし)個人の理由を述べます。

5.片桐の場合、人生の安全保障
 
私は、小学校6年の時(1972年)に父につれられ、アメリカのインディアナ州ブルミントンという人口3万人の町の中学校で1年間を過ごしました。父の留学先の研究室にいたポスドクの一人は、当時アルゼンチンの軍事政権の圧政下から亡命してきたアルゼンチンでは助教授の大学の先生でした。彼の家族は彼ごと合衆国に受け入れられ、そこに生活基盤を築くことを社会的にも経済的にも許されました。しかし、その弟さんの家族は許されませんでした。結局、その先生は祖国に戻られ、音信不通になってしまいました。

 またその頃、ブルミントンで近所に住んでいた父の友人(陶芸家(修士)、同じ大学へ招聘されていた)から、「トシちゃん、お金は紙くずになるかもしれない、土地や家も奪われることがあるだろう、本も焼かれてしまう。でも自分に身につけた知識や能力はだれにも奪えない財産だよ」と教わりました。

 帰国直後に見た映画、小松左京の「日本沈没」もトラウマでした。旧版(1973年)の映画では、「日本人の生き残る道」が大きなテーマでした。映画の中では皇室や政府高官、博士号取得者や高級技術者、医者などの専門技能者は役に立つ「人材」として、外国から受け入れられました。その一方で、一般市民は棄民として貨車でシベリアを運ばれていく描写には慄然とさせられました。丹波哲郎の演じた総理大臣への、有識者による「どこかに新しい国を作る」「世界に散らばりその国に同化する」に続き出された3つ目の結論、「生き延びるよりも、日本国土と運命をともにする」という選択は、亡命における命の選抜を見聞きした私には、特にリアルなものでした。
 私は、能力や実力だけでは不十分であり、それを裏付ける「肩書き」の重要性を思い知りました。学位の有無は自分だけでなく家族の命にもかかわる、これは私のトラウマになりました。

 私は博士号を取得し、海外の複数の学会の正会員です。また、学術集会への参加を通して海外に多くの同業者の友人を持ちます。
私自身が大学院へ進学し、博士号を取得したのは、私と私の家族の安全保障の意味もあります。どこでも生きていける能力を身につけ、その保証書を持つ。それが私の学位取得の、大学院進学の大きなモチーフでした。
 亡くなった私の父はイギリス化学会の会員でした。父の訃報をイギリス化学会に連絡したとき、先方から母へ「経済的な問題に直面したら、ご相談ください。金銭面でサポートをする用意があります」という連絡をいただきました。あちらの学会は会員だけではなく、家族へのサポートもおこなってくれます。修士号や博士号はそのような仲間をもつために必要な資格の一つでもあります。

片桐 利真

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