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有機分子の構造の理解の歴史(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

 有機分子の構造の理解の進歩というと、ケクレのベンゼン環の構造の提案を思い浮かべると思います。ここでは、そのあたりをより詳しく解説します。
 ケクレ以前の分子モデル:ケクレより前は、有機分子の構造の記述は19世紀の中頃に出てきた原子価理論、すなわちそれぞれの原子は何本の手を持っていて、それがそれぞれ他の原子と結合を作る、というものに基づくものでした。これは図1の繭玉モデルに代表されます。

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 しかし、この書き方では、ベンゼン分子を記述できませんでした(図2)。
 そこで、この繭玉の最初と最後をつなげて環状にしたのが1858年のケクレの提案でした(図3)。これは、1次元のモデルから2次元のモデルへの大転換でした。
 その後、ファントホフは1874年に異性体の研究から、有機分子は炭素の周りで平面形ではなく、正四面体の構造をしているという提案をし、ついに有機分子は2次元から3次元へと進化しました(図4)。
 しかし、この3次元構造も、実際の工学活性な分子が図5の右側の構造か左側の構造かは20世紀の中頃〜後半にX線結晶構造解析の技術が大きく進歩するまではわかりませんでした。そのため、19世紀後半から20世紀前半の化学者は、「仮に」フイッシャー投影図(図4下)を用いて、どちらがどちらでも良いように仮定しての糖の構造研究を進めました。
 ここまでの歴史を見ると、分子構造の理解も簡単ではなかったこと、先人の苦労の跡を伺うことができます。

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参考文献:竹内敬人「化学史」放送大学教育振興会(1993)

片桐 利真

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