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実験における失敗から学ぶ 保護具について-1 ゴム手袋の話(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

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 メチルイソシアネート(CH3-NCO)は有害性(毒性)の高い試薬です。また、刺激性が強く、空気中にあればわずかでも目が開けられなくなります。この試薬の恐ろしさについては、以前、このブログでも推薦図書として「ボパールの悲劇」の話を紹介させていただきました。私自身も、実験中に僅かな量のこの試薬に暴露し、「天空の城ラピュタ」のムスカの様に目を抑えてのたうち回るような目に遭いました。

 実験はメチルアルキルウレアの合成のため、アルキルアミンとメチルイソシアネートを反応させている時に起こりました。

 もちろん、安全確保のために、実験は局所排気設備であるドラフトの中で、白衣はもちろん、髪の毛につくことを恐れて帽子をかぶり、眼鏡も開放式ではなくゴーグル型のものを用いて、活性炭マスクを装着し、手はゴム手袋を二重にはめて、さらにいざという時のために実験補助者の部下を同様の装備で待機させて、隙のない状態で実験に臨みました。

 鼻の横がかゆくても、掻くのをあきらめて、実験を着々と進めました。有害性の高いメチルイソシアネートのアンプルを開けて、滴下ロートの中に入れました。空のアンプルは有機溶媒で洗い廃液も無事タンクに入れて密閉し、反応を安全に開始しました。

 そのとき、ゴーグルが少しずれました。

さすがに手で直すのは怖かったので、二重にしていたゴム手袋の外側を外して、その手でゴーグルを直そうと近づけた瞬間、ムスカになりました。目に激烈な痛みを感じ、実験補助者に「やられたー、洗顔所に連れて行ってくれ」と頼み、洗顔し、それでもしばらくの間、目は開けられずまぶたを開いても視界はにじみ、痛みの中「失明するのかな」と恐怖しました。幸いに失明することなく、数時間後には回復しました。しかし、恐怖の体験でした。あれだけ周到に準備をしたのに、それでも被害が防げなかった理由は何であったのかと考え続けていました。

 アメリカ化学会のC&E NEWSという雑誌のChemical Safety欄にダートマス大学のヴィッターハーン先生のジメチル水銀による死亡事故の報が載りました。彼女の場合はラテックス(天然ゴム)の手袋にほんのわずかのジメチル水銀をたらしてしまったのが、死亡原因でした。

 このラテックス(天然ゴム)の手袋がくせ者でした。ラテックス=天然ゴムは炭化水素ポリマーでできています。ですから水ははじくのですが、脂溶性をもちます。だからラテックスの手袋をはめていても、危険な有機物はこれにしみ込みます。ジメチル水銀もメチルイソシアネートもあるいは有機溶媒もラテックスの手袋は防いでくれません。それどころか、雰囲気中のメチルイソシアネートは積極的に手袋の表面に吸着されていたとおもわれます。特に、手袋を二重にしていると、その隙間にしみ込んだメチルイソシアネートが隙間にたまっていて、ひどい目にあった、とおもわれます。

 ラテックスは水系の汚染防止用であり、手術の時の血液汚染等には有効です。しかし、有機溶媒の作業に使ってはなりません。ラテックスのゴム手袋は脂溶性の高い有機物を透過させる、考えてみれば当たり前のことなのですが、しかし、依然として多くの有機化学研究室では保護具としてラテックスの手袋を使っています。素手についてもすぐ乾けばしみ込まない塩素系の有機溶剤もラテックスの手袋を使っていると、しみ込み、皮膚との間に濃厚な層を作り、長時間の接触により経皮吸収に至ります。それならばむしろ手袋をつけない方がましです。印刷工場での塩素系溶媒による胆管ガンのテレビ報道で塩素系溶媒の小瓶をもつ手がゴム手袋をはめていたことを苦々しく思い出します。

 私は以前からこのラテックスの手袋を過信する危険性に関して、大学での安全教育だけではなく、ネット上のフォーラムなどでも見つけ次第、訴えてきました。最近、斉藤正明さんがIsotope Newsと言う日本語の論文誌に「手術用ゴム手袋信仰と有機溶剤」というメモを公表されました[Isotope News 2015年7月号 No735, 36-38]。ここに、以前私がYahoo知恵袋に投稿したコメントが引用されていました。この方も有機溶剤を扱う際にゴム手袋を使うことの危うさについて述べられています(https://www.jrias.or.jp/books/pdf/201507_ZIKKENSHITSUMEMO_SAITO.pdf)。

 では,どのような手袋が好ましいのでしょうか。答えはまだありません。ニトリルゴムの手袋がまだましですが、それでも厚手でないと有機溶媒を透過します。このあたりは新しいイノベーションの余地かもしれませんね。

片桐 利真

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