「ハメットさ〜ん」(片桐教授)
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コメディアンの高田純次が、テレビ番組「情熱大陸」の中で、「歳とってやっちゃいけないことは説教と昔話と自慢話」とおっしゃっていたようです。そうすると私のブログ記事はほとんど「やっちゃいけないこと」になります。でも、科学者は事実を過去形で話す義務があり、その意味で昔話はさけられません。今回も説教臭い昔話で一部自慢話になります。
さて、ハメット則(ハメットの置換基定数)については以前のブログ(2015.11.04)でも紹介しました。これは、分子構造中の置換基の反応への影響を定量的に、エネルギーを尺度として表そうという考え方で、現在の有機化学の礎(いしずえ)のひとつです。
学生時代、Grignard反応の生成物(付加生成物と還元生成物)の生成比をこのハメットの置換基定数を用いて説明しようとしました。12種類の置換基を持ったベンゾフェノン(benzophnnones)とエチルマグネシウムブロミド(ethylmagnesium
bromide)の反応では,付加生成物の他にMeerwein-Ponndorf-Verley型のβ—水素還元による還元生成物が副生します。その生成比はベンゾフェノンの一電子還元のされやすさに関係します。
さて、この12種類のベンゾフェノンについて、その生成物比の対数を縦軸に、ハメットのσ値を横軸にグラフ(散布図)を作成すると、一点をのぞいてすべて見事に一本の直線上に整列しました。もちろん、化学反応の結果ですから実験結果のばらつきがあります。そこで、その外れた点を与えたベンゾフェノンについて、さらに実験を繰り返しました。そうすると、標準偏差を表すエラーバーの大きさはどんどん小さくなるのですが、その点の値はほとんど動きません。国際学会発表の2週間前に、焦りながら実験を繰り返しました。しかし、エラーバーはますます小さくなるのですが、その点は直線にどうしても乗ろうとしませんでした。
正直に告白すれば、「学会発表のスライドからこの点を除外しようかな」という誘惑を感じました。しかし、それは実験結果のZappingと言う不正行為であることも以前に読んだ書物で意識していました。最終的には、「誰もこの点に気がつきませんように」と祈りながら、1点だけぽつんと離れたグラフを学会発表に使いました。
発表終了後、最前列に陣取っていた九州大学のT教授がニコニコしながら質問をしてきました。
「片桐さん、3枚前のスライドを出してくれますか。そうそれそれ。」
あのグラフでした。
「1点だけ直線から外れてますね。」
映画の「ジョーズ」でもそうでしたが、「来るぞ、来るな」と思えば思うほど、来たときの恐怖は大きくなります。私の背中は冷や汗でびっしょりです。
「片桐さんはハメットの原著論文の値を用いたようですね。その値は間違っていますよ。私どもの実験結果からは○○と見積もられました。そうするとあなたの結果はその直線にのりますね。」
私は壇上でへたり込みそうでした。
「そうですか、ありがとうございます」
と答えるのが精一杯でした。
その後の懇親会で私はT教授から,正直にデーターを出したことをほめていただき、「正直者」の称号をいただきました。
故意ではなく、過失の場合でも間違った実験結果を世間に公表すると、後の者が大変迷惑します。
その後、私は奇妙なあるいは重要な実験結果を公表する時には、別の実験者による追試を必ず行う習慣がつきました。
それにつけても
「ハメットさ〜ん。あなたの間違いで50年後の学生が大変苦労しましたよ!。」
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