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サステイナブルではなかったフロン冷媒(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 クーラーや冷蔵庫のような冷凍機に冷媒として用いられているフロンの開発と改良の歴史はSustainableな社会の構築と化学物質の開発に関して示唆に富んだ実例であると思います。以下にフロン冷媒とオゾン層の歴史を振り返ってみましょう。

 冷媒にふさわしい物質にはいくつかの条件がある。大気圧近くでの沸点が特定の温度領域にある物質が冷媒として利用しやすい。当初はアンモニア(沸点-33.3℃)が利用されていたが、においが強いうえに毒性が高く施工時の事故原因ともなっていた。

 そこで、1920年代頃に新たな冷媒として「フロン」が開発された。ただ、「フロン」という特定の物質が存在するわけではない。フロン、あるいはフロン類という用語はある種の化学物質のグループを指し示すもので、厳密な定義があるわけではないが、一般に図のようなメタン・エタン・プロパンといった炭化水素化合物の骨格に水素の代わりにフッ素や塩素などの原子が結合している物質を示している。炭素とフッ素、炭素と塩素の結合は非常に強い結合であり空気中ではほとんど分解することがない。分子の中で原子が硬く結びつき合っていて常温でその結合が切れることがなく、生体分子との相互作用も小さい。したがって顕著な毒性もなくほぼ無臭である。炭素の骨格とフッ素・塩素の結合数と位置の組み合わせによっていろいろなフロンを合成することができ、その沸点も変化するので、沸点が適切な温度領域にあるフロンを選んで冷媒として用いることができた。

 ここまでは、新たな化合物の合成を通して人々 (People) の快適な生活 (Prosperity)の実現のために化学が役立った、という具体例だと言えるだろう。しかし、後に環境への悪い影響、それも文字通り地球 (Planet) レベルの影響がフロンによって引き起こされていることが判明する。

 

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 1980年代初等、南極昭和基地上空の春季オゾン全量の計測値がそれまでと比較して、著しく減少していることが観測された。これが南極のオゾンホールの最初の報告であるとされている。オゾンホールとは8~11月に南極上空のオゾン量が極端に減少する現象である。(南半球なので8~11月が春季である。)

 オゾンホールとフロンにいったいどんな関係があるのか、以下に順を追って説明しよう。

 まず、オゾン(O3)とは酸素分子(O2)と同じく酸素原子からなる分子である。オゾンは不安定で自然にO2に分解するためわれわれの周囲には通常は存在しないが、地表から10 km以上上空の大気では波長230nm以下の高いエネルギーの紫外線によってO2からオゾンが発生している。オゾンの発生と分解がバランスするので上空にはいつも一定量のオゾンが存在している。この上空のオゾンは波長300nm以下の紫外線を吸収して地表に降り注ぐ紫外線の強度を抑える働きをしている。これがオゾン層である。オゾン層は南極に限らず地球全体を覆っていて、われわれの生活する地表を有害な紫外線から守っているのである。

 オゾンホールという現象はこのオゾン層に穴が空いているということであり、南極という人が少ない場所で、春季という限定された期間のことであっても不安を感じさせる事象である。また1980年代に始まった、ということはその原因が地球の歴史からみれば極最近に起こった変化、おそらくは人間活動による変化、に由来していることを示していた。また、後の調査の結果オゾンホールほどではないとしてもオゾン層の破壊は全世界的に起こっていることが知られる様になった。

 オゾンホールの発生、オゾン層の破壊の原因となるメカニズムを明らかにしたのはフランク・シャーウッド・ローランド、マリオ・モリーナ、パウル・クルッツェン等、大気化学者であった。オゾン層の破壊はオゾンの分解を加速する要素、触媒が大気に含まれるようになったことが原因である。その触媒とは塩素原子(Cl)であった。

 では、このClはどこからやってくるのだろうか。自然界にもともと存在するものが原因なら1980年代といわず、酸素を含む大気が形成された十億年以上前からオゾンホールがあったはずである。人間が造り出した物質であり、大気の上層にまで到達できる気体、しかもオゾン層の領域まで分解しない安定な分子となると先に述べたフロン以外に考えられない。炭素の骨格にフッ素の他に塩素を結合させた形のフロンが大気中に放出され、そのままオゾン層まで到達したところで強力な紫外線によって分解されて塩素原子Clを放出し、そのClが触媒としてオゾン層を破壊し始めた。特に南極では南極特有の気象条件と相まってオゾン層が消失し、オゾンホールが形成されていたのである。

 フロンの開発は冷凍機の普及を加速して人々(People)の快適な生活の実現(Prosperity)のために役立った。しかし、フロン開発から約半世紀、オゾン層の破壊とオゾンホールの形成というPlanetレベルの悪影響が判明した。フロンを利用した冷凍機はSustainableではなかったのである。

 さて、ここで注目したいのはフロンが開発されてから約半世紀、それがサステイナブルでない、と考える理由は全くなかった、という点です。何かの物質の利用がサステイナブルか否かについて私たちが確実に知ることができるのは、「サステイナブルでない」ことが判明したものは「サステイナブルでない」ということだけです。そうでないものは「いまのところサステイナブルでない証拠が見つからない」というだけで「サステイナブルである」とは言えないのです。

 でもそれでも構わないのです。サステイナブル工学は「サステイナブルでないもの」をなくす努力のことですから「サステイナブルでないもの」がわかれば充分だと言えるでしょう。

江頭 靖幸

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