「水銀法」は使い続けるべきだったのか?(江頭教授)
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前回は水酸化ナトリウムの製造法として広く普及していた「水銀法」が本当に危険なプロセスだったのかどうか、について私の意見を述べさせてもらいました。
結論は、「水銀法」に現実的な意味での危険性があったとは考えにくい、というものでしたから、「水銀法」を使い続けるべきだったのか?という問いに対しては、当然ながら「続けるべきだった」と答えると思われるかもしれません。しかし、その後の展開をみると必ずしもそうとは限らないと思うようになった、今回はその点について述べさせていただきます。
図は前回同様、環境省の「水俣病の教訓と日本の水銀対策」からとったもので、こちらの元データは「ソーダと塩素」という雑誌からとられているようです。
水酸化ナトリウムの製造は「水銀法」から「イオン交換膜法」へと転換されました。初めのうちは「水銀法」より多くのエネルギーを消費していた「イオン交換膜法」は、やがて改良が進み水銀法よりずっと少ない所要エネルギーで水酸化ナトリウムの生産が可能となった。ですから、この技術の転換は「結果オーライ」「終わりよければ全てよし」という展開になりました。
でもこれは結果論です。
「水銀法」を使い続けるべきかどうか、という問いの背景には「水銀を使うこと」による危険と「水銀法」のメリットとを天秤にかける考え方があったと思います。しかし、「イオン交換膜法」の成果を知ってから振り返ると、危険とメリットとはトレードオフの関係(つまり「あちらを立てればこちらが立たず」という関係)ではなかったことがわかります。新しい技術である「イオン交換膜法」によって危険がなくてメリットもある、という「虫の良い」選択枝ができているのです。
科学の世界では「真実はいつもひとつ」ですが、工学的な技術は複数の選択肢があって「正解はひとつ!じゃない!!」のです。科学なら正しいかどうか、という一つの判断基準で進むことができますが、工学の仕事では複数の価値基準のバランスをとりながら判断する必要があります。というか、このケースでは安全性と経済性という二つの価値に対して、バランスをとるどころか、両方満足させる解を技術の改良によって造り出しているのです。
そう考えてから、再び、「水銀法」を使い続けるべきだったのか、という問いに戻りましょう。当時の判断は結果は良かったものの、とてもバランスのとれたものではなかったように思われます。今後似たような判断を迫られたとき、結果が思わしくなくても、最善を尽くして判断した、と確信できることが大切でだと思います。サステイナブル工学はそのような判断に際して新しい選択枝を与えることを目標にしているのです。
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