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「安全工学」の講義 第1回から(7) シティコープビルと公益通報(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

2年生の選択必修の講義「安全工学」の担当の片桐です。

このブログのシリーズでは、安全工学という講義の中でお話しした内容について、片桐の個人的な意見を述べていきます。

 倫理的な考え方は、しばしば安全を達成する方法を規制します。その一つの例として「公益通報」「内部告発」の問題が上げられます[1]。そして,レポートケースメソッドの課題として提案した場合に、「自分のこととして」まじめに考えているかいないかが一番はっきり分かるのが、この課題です。

 軽く考えれば、世のため人のために不正を告発する行為は,正義の味方になることであり、安直に「正しい行為だから」と内部告発を選択します。しかし、その内部告発で会社がつぶれたら、それにより路頭に迷う社員=その多くは家族を持つ同僚、が出る恐れもあります[2]。また,その告発で自分が何も得をしないことも意識しなければなりません。特に、すぐにマスコミにばらす行為は最悪です。公益通報の「保護要件」は厳密に定められており、内部通報は比較的緩やかですが、行政機関通報はその規定が定められ、企業外通報では厳しく条件が定められています。つまり,法の保護は無条件ではありません。

 参考資料の質も問題です。法律事務所のWEB PAGEを参考資料とした場合のレポートの結論の多くは「内部告発する」でした。しかし、弁護士への相談費用は存外に大きな額になります。「会話をこっそり録音して、証拠を取っておく」のも一見有効な方法に見えます。しかし、「相手方の同意なしに対話を録音することは、公益を保護するため或いは著しく優越する正当利益を擁護するためなど特段の事情のない限り、相手方の人格権を侵害する不法な行為と言うべきであり、民事事件の一方の当事者の証拠固めというような私的利益のみでは未だ一般的にこれを正当化することはできない」という判例[4]もあり、この裁判でかかった費用の請求の際の法的な資料にはできない恐れもあります。

 では、どうするのが最善なのか、答えはありません。しかし、工学倫理ではその希有な成功例として、以前にこのブログ(2016年3月21日)に少しだけ触れた,シティ・コープ・ビルにおけるル・メジャーの決断の例が上げられています。これは、ル・メジャーの設計したビルが、法的な想定では問題ないけども、想定外の風の受け方を計算したら、倒壊の恐れがあることに気づいた。その時に、彼がどのような決断を下したかという話しです。

Fig_2

シティコープ・ビルとその構造

彼の決断は、「秘密裏に」改修工事を行い、問題を解決するというものでした。これにより、彼のクライアントは満足し,保険会社も彼をさらに信用するようになり、彼自身も良心の呵責に苦しまずに済みました。そして何より,大事故を防げたというものです。この実例の詳細は多くの工学倫理のテキスト[5]に記載されていますので、それをお読みください。

 ここで,私が注目したいのは、「秘密裏に」対策し、その出来事の20年後に初めて明らかになったことです。もし、この事態をその時点でおおっぴらに公表したら、多くの意見が出され、まとまらず、対策を立てられなかったのではないかと危惧します。その意味で、「内部告発」は依然としてリスキーな行為であり、危険な現状を公表することは,必ずしも最善の対策につながるわけではないことを理解しなければなりません。

 正しい行為が最善であるとは限らないところが、安全の工学的に難しいところです。「正しいけど愚かな」[6] 判断をしないようにするにはどうするのかを考えることも安全工学では重要です。

[1] D. B. Lewis「内部告発 その倫理と指針」丸善(2003)

[2] 週刊エコノミスト 2002.10.8 社員の不正が企業を殺す

[3] 岩崎将基、東京大学法科大学院ローレビュー, 2008, 3, 30.

[4] 大分地判昭和46年11月8日判時656号82頁

[5] 中村収三「実践的工学倫理」化学同人(2003)

中村収三、近畿化学協会 工学倫理研究会「技術者による 実践的工学倫理 第2版」化学同人(2009)

札野順「新しい時代の技術者倫理」放送大学教育振興会(2015)

[6] 「カルデアネスの板」のケースにおいて弟子の答えに対して,カルネアデスが評したことばと言われている。

 

片桐 利真

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