窒素固定はなぜアンモニア合成だったのか?(江頭教授)
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先日紹介したSF小説「窒素固定世界」は窒素固定が大気中の窒素と酸素を結合させる反応、つまり窒素酸化として実現されたら、というIFの世界を描いたものでした。大気から窒素酸化物を作り出す疑似植物は爆発的に繁殖し、最終的には大気中の酸素を消失させ、人間以外のすべての動物が死滅する、という設定です。一方、現実の窒素固定技術は窒素と水素からアンモニア合成をを行うものでした。では、なぜ窒素固定の手段としてアンモニアの合成が選ばれたのか、言い換えれば、なぜ窒素酸化が選ばれなかったのか、が今回のお題です。
窒素酸化物、大気汚染の原因物質で、あまり良いイメージのない物質です。アンモニアには価値があっても窒素酸化物には価値がなかったのでしょうか?そんなことはありません。窒素酸化物から得られる硝酸、硝酸から得られる硝酸塩は肥料として有効ですし、それ以上に火薬の原料としても重要な物質でした。実際、ハーバーボッシュ法を用いた最初の工場(後に大きな悲劇に見舞われるオッパウの工場です)が稼働した1913年の翌年、1914年にはすでにアンモニアの酸化による硝酸製造工場が作られています。
では、アンモニアの合成反応と窒素の酸化反応、ここでは二酸化窒素が生じる反応としますが、この二つの反応の起こりやすさを比べてみましょう。
それぞれの反応の25℃、1気圧での平衡定数を求めると、まずアンモニアの合成反応の平衡定数は1.0×108となり、アンモニア生成の方に非常に大きく偏っていることが分かります。平衡を考慮するとアンモニア合成には「高圧・低温が有利」というのは良く知られたことですが、室温まで温度が下がるとここまでアンモニア側に傾くわけです。もちろん、室温付近では反応速度が非常に遅いので現実的には「反応が起こりやすい」という訳ではありません。
一方、二酸化窒素の合成反応の平衡定数は7.9×10-10となり、この反応はほとんど起こらないことが分かります。「触媒を使って」と考えるひとがいるかもしれませんが触媒の機能は平衡に近づく早さを加速することですから、平衡状態で不利な反応を有利に変えることはできません。平衡で起こりやすいと計算される反応が実際に起こりやすいとは限らないのですが、起こりにくい反応は実際にも起こりにくいのです。この反応は吸熱反応なので「高温・低圧が有利」な反応ですが、必要とされる高温を経済的に見合う条件で作りだすのは難しい、と判断されたのでしょう。
皆さん、安心してください。どんな触媒が開発されても大気中の窒素と酸素が反応して酸素が消失することは無さそうです。
補足)もちろん、「窒素固定世界」の著者、ハル・クレメントはこの点に気がついていたのでしょう。窒素と酸素を結合させるのは「疑似植物」だと設定されています。おそらく太陽光のエネルギーを利用して自然には進行しない酸素と窒素を反応させ、それが大規模に行われることで大気が変化したわけです。実際、現在の大気に酸素が含まれているのは太陽光のエネルギーを利用して二酸化炭素から酸素を分離させる反応、つまり光合成が植物によって大規模に行われているからためなのですから。
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