「安全工学」の講義 第1回安全と倫理から(5)工学倫理の必要性(片桐教授)
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2年生の選択必修の講義「安全工学」の担当の片桐です。
このブログのシリーズでは、安全工学という講義の中でお話しした内容について、片桐の個人的な意見を述べていきます。
倫理学は物事の善悪の判断を考える学問です。しかし、ニーチェはんが「神さん息してへんで!、死んではるで!」(なんでここだけ怪しい関西弁?)と宣言して以来、絶対的な善も悪も語ることが難しくなってしまいました。今は、TPOに応じて善悪を判断する基準を提示する「応用倫理学」ある意味、工学的な倫理学がいろいろな分野で研究されています。「工学」の世界にも「工学倫理」という世界があります。工学倫理は何冊もテキストが出版されており[1]、その入門編だけでも15コマ2単位の講義を必要とします。
安全工学で重要なアイテムである「カイゼン」「改善提案」は産業のためには善と信じられていました。しかし、1999年の東海村JCO臨界事故は、このカイゼンを原因としていました。その意味で、善悪の判断の根拠となる「工学倫理」は安全工学にも大きく関係する学問分野です。
鉱山では管理職と鉱夫が「友人関係を結ぶことを禁じていた」、という話しを聞いたことがあります。これは、山が落ちた時にその友情が「ひとりでも多くの鉱夫を助ける」ための管理職側の正しい判断を妨げる恐れからだったそうです。常識的に考えて正しいとされている「友情」が職業人としての判断の害になる可能性の話しは、私にはショックでした。そして、緊急時に場に流されず理で判断できるかどうかを自問すると、答えられない私がいました。
プロとしての判断と、個人としての判断が異なるとき、どのように行動するべきなのでしょうか。
アメリカ映画の主人公なら家族と何万人という人の命が天秤にかけられた時に、どっちも救う選択をして超人的な能力を発揮し、問題を解決してしまいます。しかし、我々凡人は、二兎を追えば一兎も得ることができません。
怖いことを申しますが、学生の皆さんも、いつそのような事態に遭遇するや知れません。安全確保のための限られた予算や人的資源をどの課題に使うか、どの課題の解決を優先するのか、その判断は高度に倫理的なものです。
この「安全工学」の講義ではレポート課題として多くの安全に関するケースメソッドを取り扱い、答えのない課題レポートを課します。これは、どこかのWeb Pageに書かれているように、「とにかく先生はジレンマが好きで、正解のない問題を生徒にぶつけてレポート書かせて楽しんで」いるわけではありません[2]。学生時代から、「自分で調べて(取材して)」「正しい専門的な知識」を元に感情ではなく「論理的に正しく考えて自分の結論に至り」それをレポートとして「誤解なく表現する」ことを求めているのです。
[1] 札野順「新しい時代の技術者倫理」放送大学教育振興会(2015)
村上陽一郎「科学・技術と社会」ICU選書(1999)
齋藤了文「はじめての工学倫理」昭和堂(2001)
岡本裕一郎「意義あり!生命・環境倫理学」ナカニシヤ出版(2002)
藤本、川下、下野、南部、福田「技術者倫理の世界」森北出版(2002)
片倉、堀田「安全倫理」培風館(2008)
杉本、高城「技術者の倫理入門」丸善(2001)
米国科学アカデミー「科学者を目指す君たちへ 研究者の責任ある行動とは 第3版」化学同人(2010)
加藤尚武「環境と倫理 自然と人間の共生を求めて」有斐社アルマ(1998)
中村収三「実践的工学倫理」化学同人(2003)
中村収三、近畿化学協会 工学倫理研究会「技術者による 実践的工学倫理 第2版」化学同人(2009)
J. コヴァック「化学者の倫理」化学同人(2005)
[2] 楽天みんなのキャンパス トップから「岡山大学 片桐利真 安全環境化学」で検索。
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