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「安全工学」の講義 第3回安全の法律から(2) コンプライアンス (片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

2年生の選択必修の講義「安全工学」の担当の片桐です。

このブログのシリーズでは、安全工学という講義の中でお話しした内容について、片桐の個人的な意見を述べていきます。

 「悪法も法なり」とはソクラテスのことばと伝えられています。間違った法律でも法律であるからには守らなければならない、という考え方で、これに従い、死刑判決を受けたソクラテスは毒をあおったといわれています。

 一方で、「悪法は法にあらず」という考え方もあります。法律は手段であるという考え方は、無条件の法令遵守を要求しません。コンプライアンス(法令遵守)の対象は、国の定めた法律だけではなく、組織内での命令なども含まれます。社内の命令が国の法律に背くとき、それは国の法律が優先されます。同様に、国の法律が「自然法」(神の意志や人間の理性に基づく「高次の法」、コモンセンス)に反するのなら、その法律も拘束力をもつべきではないという考え方ですね。

 2011年の福島第一原子力発電所の事故では、このコンプライアンスについていろいろと問題を投げかけました。

 事故の原因のひとつは崩壊熱の冷却の失敗でした。これは、不適切なマニュアルに従ったことが原因ではないかという報道があります。原子炉には電源を必要としない冷却装置があったのですが、報道では「炉内の状況を自動記録した「チャート」によると、地震直後の原子炉自動停止に伴い炉内圧力が上昇。直後に圧力が急減しており、非常用復水器が自動起動したと推定される。しかし午後3時ごろには再び圧力が上昇、復水器が止まったとみられる。操作手順書は、炉内圧力が急減した時には復水器を止めるよう定めており、運転員が操作した可能性もあるという。」だそうです。つまり、コンプライアンス(この場合はマニュアル)に無条件に従ったのが、事故局限化の障害になったというものです。

 また、吉田所長の本社命令に対するコンプライアンス(命令)違反は,日本を救いました。これは本社の「注水の中止命令」を現場の吉田所長が独断で無視し、海水の注水を続けたというものです。これは正しい判断だったと評価されていますが、吉田所長はこの件で6月に本社から口頭注意を受けています。

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 さらに、東電の社長の4月の記者会見でのコメント、「津波対策は国の基準通りやった」というものは、コンプライアンスを守っていれば良いと言わんばかりの印象を与えるものでした。このコメントは、安全を守ることはその法律よりも優先させるべきだということを我々に再確認させるものです。

 そして、その秋の「放射線安全基準の緩和」騒動もコンプライアンスとは何か、を問いかけています。これは、その時点での法律に記載されている放射線量の基準を達成できないなら、その基準そのものを「政治的判断」により変更して達成可能なものにしようというものです。ルールが守れないのなら、ルールを変えれば良いという考え方は、本末転倒に思われます。

 この事故に付随して発生した諸問題はコンプライアンスを根本から問い直すものであったことを理解いただけると思います。

 法律は技術の進歩により醸成される社会の理解(コンセンサス)を元に、改正されていくものです。ですから,技術の進歩におくれてしまうのはやむを得ません。また,社会情勢の変化にも追いついていません。しかし、だからこそ、それを無条件で守ること=コンプライアンスを絶対視する危うさを意識しなければならないと思います。

 そして、法律という「手段を目的であると錯誤」してしまうのは、一種の短絡思考、人間心理の問題です。

片桐 利真

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