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35年ぶりに「人間機械論(ノーバート・ウィーナー著)」を読んで(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 皆さんはノーバート・ウィーナーという人の名前を知っているでしょうか?知らない、という人も「サイバネティックス」という言葉は聞いたことがあると思います。「サイボーグ」や「サイバー空間」などの語源としても知られているこの言葉は、このウィーナーの造語なのです。

 ノーバート・ウィーナーの著書として有名なのは、そのものズバリの「サイバネティックス」と、この「人間機械論」です。ずいぶん前、たしか学生時代に両方とも読んだ記憶があるのですが、久々に「人間機械論」を手に取ってみたのは、現在の自動制御の普及ぶりと当時とのギャップを実感したかったからです。

 「指令通りに動く機械」から「動作の結果を報告する機械」への変化、これがフィードバック制御の基礎となります。機械からの報告を評価し、目標が達せられなかった場合には改善すべく次の指示をだす、その繰り返しで機械は正確に目標に到達することができます。そして、指令を出すもの、それは人間である必要はありません。別の機械が評価と指示を担うことで自動制御は完成します。

 「サイバネティクス」という学問は、このように状況を報告したり、目標の達成度を評価するなどの能力、つまりある種の知能を持った機械についての学問であると同時に、機械と人間、あるいは機械と機械のコミュニケーションについての学問でもあるのです。現在のIT革命の基礎となる「サイバネティクス」を造りあげたウィーナーが、広く当時のアメリカ人に向けて著したのが、この「人間機械論」です。

Humanuse

 この「人間機械論」というタイトル、

人間は機械だ論

という主張ではなく、

人間のようにはたらく機械についての論

と読み解くべきでしょう。人間にしかできないことと機械でもできること、当時その区別は曖昧になっていたのです。実際、人間にしかできないと思われていたことのうちいくつかは自動制御など「サイバネティクス」による成果によって不要になっています。そして、機械にできることは機械にやらせ、人間は人間にしかできないことをやるべきだ、このウィーナーの考えに沿って実際の歴史も進んだのです。

 現在もまた「AIによって仕事が奪われる!」といった論調が示す様に、人間にしかできないことと機械でもできること、との区別が曖昧になっているのかも知れません。「サイバネティクス」の成果が導入されることで職を失った人(例えば電話機の交換手)はいたかも知れませんが、それによって達成されたIT革命を否定する人は今ではごく希でしょう。AIでできる仕事を人間にやらせるのは人間性に対する冒涜だ、ウィーナーならそう言ってAIの導入を支持したのではないか、そんな風に感じた35年ぶりの「人間機械論」でした。

江頭 靖幸

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