35年ぶりに「人間機械論(ノーバート・ウィーナー著)」を読んで 追記 (江頭教授)
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先日紹介したノーバート・ウィーナーの「人間機械論」、今回はこの書物についてもう少し説明を追加したいと思います。実はこのタイトルは日本オリジナル。本来のタイトルは
THE HUMAN USE OF HUMAN BEINGS
となっています。日本語版のタイトルには副題として
人間の人間的な利用
とありますが、こちらが本当のタイトルなのです。
著者がこのタイトルに込めた意図は本書の第一章「歴史におけるサイバネティックス」の終わり近くのこの部分にはっきり現れていると思います。
私は本書を、人間のこのような非人間的な利用(inhuman use of human beings)に対する抗議に捧げたいのである。なぜなら私は、人間に対しその全資質より少ないものを需め、実際の資質より少ないものしかもっていないものとして人間を扱うような人間の利用は、いかなるものでも、一つの冒涜であり一つの浪費であると信ずるからである。
ウィーナーは人間の「非人間的な利用」の例として次のようなものをあげています。例えば「人間を鎖で櫂につなぎ動力源として使う」ガレー船。そして「工場で人間にその頭脳の能力の百万分の一以下しか必要としない全く反復的な仕事をあてがう」工場です。
そしてウィーナーはこの章を以下の文言で締めています。
権力欲にとりつかれたやからにとっては、人間の機械化は彼らの野望を実現する一つのかんたんな道である。思うに、権力へのこういう安易な道は、実は、人類にとって道徳的価値があると私が考える一切のものの廃棄であるばかりでなく、人類の今後かなり長期にわたる存続のための今やはなはだ細くなったみちの廃棄をも意味する。
「人類の今後かなり長期にわたる存続のための今やはなはだ細くなったみち」とは、今の我々の言葉では「サステイナブルな社会の実現」と言い換えることができるでしょう。
人間の人間的な利用、つまり人間の可能性を十分に発揮させることは、人を人として扱わず、機械のように扱うことに比べて難しく手数がかかります。しかし、人々が持てる力のすべてを合わせなければ、サステイナブルな社会の実現はおぼつかない。
半世紀以上前にウィーナーはそのことを指摘していたのでした。
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