究極のサステイナブル工学とは(江頭教授)
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「サステイナブル工学教育」は本学工学部の主要な特徴の一つです。では、「サステイナブル工学」とは何か、すでに確立した分野ではありませんから、我々教員もいろいろに考えを巡らせています。
さて、今回のお題は「究極」のサステイナブル工学となどんなものか、です。
まず、サステイナブル工学ということばで強く意識されるのは環境への配慮です。しかし、サステイナブル工学は環境だけに注目しているわけではありません。
そもそも、産業は人々の暮らしをかして維持し、より良くすることを目標としていますから、人間生活の充実が産業の大目的です。良いものを安く手に入れられる社会、単純化して言えばそれが産業社会の理想であり、より多くの物資とサービスの提供を実現しようとします。
しかし、人間は一面では物資とサービスを享受する消費者ですが、もう一つの側面として労働者・生産者の側面も持っています。生産の野放図な拡大によって消費者としては天国でも働く者にとって地獄のような社会になっては堪らない。そこにはバランスが必要で、そのバランスをとりながらより高いレベルに押し上げることが工学の役割となります。
ここまでが工学のお話し。これに環境の問題、それに資源枯渇の問題を考えると、「現在の産業社会を持続させることは不可能だ」つまりサステイナブルではない、という問題が加わります。この問題を解決するのが「サステイナブル工学」という訳です。
結局のところ、「サステイナブル工学」の目標は人々の豊かな生活をサステイナブルにする、持続可能にする、ということであり、その中に「豊かな生活とは何か」という問いへの探求は含まれない、と言うことができそうなのですが、果たしてそうでしょうか。
例えばひとつの思考実験としてなにかとんでもない発明、たとえば「永久機関の実現」がなされたと仮定します。それによって現在の生活、あるいは現在以上の生活を維持しながら社会が持続可能であることが保証されたとしたら、それが究極のサステイナブル工学であり、サステイナブル工学の完成、すなわちサステイナブル工学の終わりとなる。
もちろん、これは単なる思考実験なのですが、そのような形で持続可能となった社会と、より現実的なサステイナブル工学的なもの、再生可能エネルギーや環境調和型の技術に支えられた未来の社会とを想像して比較してみると、なにか価値観的なレベルでの違いがあるように感じられるのです。
なにが違うのか、現時点では言語化できないのですが、「豊かな生活とは何か」という問いには、実は我々の生活がどのような技術に基づいているのか、基づいているべきなのか、という価値観が含まれているのではないでしょうか。これが具体的にどのような価値観なのか、良いことなのか悪いことなのかをふくめていろいろに考えを巡らせていくべきことだと思っています。
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