« 「成長の限界」の限界(江頭教授) | トップページ | 東京工科大学のゴールデンウィーク (江頭教授) »

資源枯渇で文明は崩壊するか?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「資源枯渇で文明は崩壊するか?」

もっと正確に言いましょう。

 「資源の枯渇を仮定したうえで、その場合に人類の文明は崩壊すると考えられるか」

が今回のお題です。まず、資源が枯渇するのが前提です。実際に枯渇するかどうか、それは別の話としましょう。資源が枯渇したとして、それが原因で人類の文明が崩壊するのか、ということです。

 前回の記事で「成長の限界」で文明の崩壊を予測したシミュレーションには、世界を人々が全く平等であるという暗黙の仮定がなされている、という意味で限界があると述べました。今回は、より具体的に「資源の枯渇」に焦点をあてて「成長の限界」の限界について考えてみたいのです。

 環境汚染で地球が人の住めない星になる、と想定すれば環境汚染による文明の崩壊、それどころか人類の滅亡もあり得る想定だと思います。しかし、資源の枯渇で文明が崩壊するとはやや考えにくいのではないでしょうか。おっと、「成長の限界」は人類が滅亡するという書き方はしていませんね。正確には「人口と工業力のかなり突然の、制御不可能な減少」です。ここでは、これを単純化して文明の崩壊と呼んでいます。

 「成長の限界」で示されたシミュレーションでは当時の技術的な限界から、世界を一つのかたまりとみなしています。環境汚染の場合はともかく、資源の枯渇に対して、このような仮定は大きな間違いをもたらすのではない、それがポイントです。

Paddyhannanstatuekalgoorlie_2

 世界をひとかたまりとして扱うということは、世界で食料が不足すれば全世界の人々が同時に栄養失調になり、同じ確率で死ぬ、そんな平等なものとして世界を扱っていることになります。これは現実的とは言えないのでしょうか。

 実際に資源の枯渇が迫ったとき、資源の豊かな国は資源の乏しい国への輸出を中止し、自国のためだけに資源を使うのではないでしょうか。その結果、資源の乏しい国の文明はより早く崩壊することになりますが、資源の豊かな国の文明はそのまま維持される。資源の乏しい国の人から見ればこれは耐えがたい事かも知れません。(そして、日本も資源の乏しい国の代表のような国です。)とはいえ、文明の全面的な崩壊と比べたら、一部の国だけにでも文明が残る事の方が「良い」のではないか、という考え方もあり得ると思います。

 さて、この問題の道徳的な側面については「いろいろな考え方がある」という以上の答えは出ないと思います。しかし、現実的に何が起こるかを考えれば、「全地球的な文明の崩壊」ではなく「一部の国・地域における文明の崩壊」がリアリティがあるでしょう。そして、もっとも望ましいのは「全地球的に文明が崩壊しない」ことだ、これは誰しもが納得するところでしょう。

 ただ、「全地球的に文明が崩壊しない」様にするためにはなにがしかの努力が必要である一方で、資源の豊富な国の人々にとっては「一部の国・地域における文明の崩壊」が致命的な不幸ではない、ということには注意するべきです。この人々には「全地球的に文明が崩壊しない」様にするために努力するインセンティブが、実はそれほど大きくないのです。資源の乏しい国の人々は、どうやって資源の豊かな国の人々を「全地球的に文明が崩壊しない」様にするための努力に巻き込んでゆくことができるのでしょうか?ここまで来ると、限界が有るとはいえ「成長の限界」のシミュレーションを信じていられれば、とさえ感じてしまいます。

江頭 靖幸

« 「成長の限界」の限界(江頭教授) | トップページ | 東京工科大学のゴールデンウィーク (江頭教授) »

日記 コラム つぶやき」カテゴリの記事