書評 堺屋太一著 「知価革命(PHP研究所)」 (江頭教授)
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価値あるいはGDPはどのように決まるものなのでしょうか。
前回のブログでこのように書いたのですが、この「知価革命」という本はある意味それに対して解答を与える本であると思います。
本書の出版は1985年。かなり古い書物です。著者の堺屋太一氏は通産官僚でしたが石油危機を予言するような小説「油断」をタイムリーに出版することで作家としてのスタートを切った人物です。作家としての評価を確たるものとした上で、その未来を予測するような小説を可能にした自らの考え方をまとめのがこの「知価革命」と位置づけることができるでしょう。
本書では大きな歴史の変化がどのようにして起こるのか、についての考察からスタートします。
人間には新技術の開発や社会の変革によって不足するモノを獲得するための「雄々しい英知」と同時に、不足するモノを大切にするために自らの趣向や価値観を変化させる「優しい情知」を持っている。石油危機に端を発したエネルギー・資源の有限性の認識が人間の「優しい情知」に影響して「エネルギーを無駄にするのは罪悪だ」「無駄に資源を使った商品は下品だ」と感じる感性が一般的になるだろう。
堺屋太一氏の予想はこのようにまとめられると思います。本書が書かれたから33年。この予想は的中したと言えるのではないでしょうか。
さて、資源やエネルギーの不足に呼応してモノの大きさや多さに価値を見いださなくなった人々はどんなものに価値を見いだすのでしょうか。堺屋太一氏は、それは知恵の価値、すなわち「知価」であると予想しました。それが本書のタイトルにも使われているのです。
知恵の価値といっても漠然としています。実は純粋な知恵が売り物になるわけではない。知価はモノやサービスに付随する形で現れる、と言います。分かりやすいのはネクタイの例です。ネクタイは布を材料として作られた商品で材料そのものの価値はあります。しかし、良いデザインのネクタイ、ブランド物のネクタイなど材料費では説明できないほど高価なネクタイが存在しています。その値段の差が知価である、というのです。
現在から振り返ってみると「確かにそうだ」と感じます。色や形のデザインもそうですが、使い勝手を含めてデザインと考えるとデザインの悪い物は「ただでもいらないよ」となってしまいます。
本書が書かれた1985年ごろ、日本は高度経済成長期が頂点に達してバブル期に入るころです。物質的な貧しさを克服して豊かな社会になってゆくまでは、物が提供する基本的な機能そのものが価値だった。食べ物であれば、味はともかく腹一杯食べられればよかった。そんな時代が過ぎ去って、生きてゆくためには充分な物が供給されるようになったとき、さらなる価値を創り出すのは知恵である。これは逆の言い方をすれば、知恵を絞ればさらなる価値を創り出すことができる、とも解釈できるでしょう。
石油危機によって物質的な成長の限界が実感された世界において、なお経済が成長するためには知価の創造が必要だ、知価の創造があれば経済の成長に限界はない。現在から振り返るとこの予測は正しかったと言えると思います。
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