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核戦争を描いた映画「世界大戦争」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 持続可能な世界を目指すサステイナブル工学の背景にはこの文明がサステイナブルではない、つまり人類が滅亡するかも知れない、という概念があり、その一番リアルな恐怖は全面核戦争ではないか。ということで核戦争を描いた映画を紹介しています。

 今回紹介するのは「世界大戦争」。1961年の日本映画です。製作は東宝で、特技監督は円谷英二。ということでいわゆる東宝の怪獣映画の流れをくむ映画とも言えるでしょう。円谷英二氏は同じ1961年に「モスラ」、翌1962年には「キングコング対ゴジラ」を手がけています。

 前回紹介した「渚にて」が核戦争、それも直接的な核爆発を全く描いていなかったのに対し、この「世界大戦争」では核戦争による世界の崩壊をじっくりと描いて見せています。本作のクライマックスはまさにこの核戦争描写であり世界の有名な都市が破壊される様子、とくに東京が核爆弾で溶融する様子を見せつけることで核の恐怖を直接的に描写しています。CG全盛の現在の目からみると「いかにも」なミニチュア特撮映像なのですが当時としては最高レベルの映像だったのではないでしょうか。

 本作は一つの家族を中心に、日常的な生活の中に核戦争への不安が忍び込み、やがて加速度的に緊張が高まり、ついには核戦争による世界の終わりが訪れる、という構成になっています。

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 特徴的なのは核戦争を起こす当事者達(実際にはアメリカとソ連のリーダー達ですが本作では連邦国と同盟国とされています)の描写がほとんど無いことです。末端の軍人の描写はありますが、彼らは命令と道徳観との間でとまどい悩む存在として描かれており、その非人間的な命令を出している人たちの描写はありません。

 日本で暮らす主人公一家の描写も同様で、普通に暮らしていたのになぜ核戦争で死ななければならないのか、が彼らの葛藤の中心です。これは日本の政府要人についても同じであり、彼らですらも「両国に和平を呼びかける」ことしかできません。

 結局のところ、本作で描かれる核戦争はある種「巨大な天災」のようなものです。、この点私には、核戦争は自分たちにはどうしようもない、という恐怖の描写であると同時に、逆に自分たちの責任ではない、というある種の気楽さも感じられる描写の様に思えました。

 「核戦争の恐怖」に比べて「気候変動の問題」は人間一人一人の生活に深く結びついています。その意味で気候変動は多くの人々にとって気の重い課題であり、映画向きではないのでしょうか。

江頭 靖幸

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