実験で予想が外れることを「失敗」とは言いません(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
あれ、前回と同じタイトル?
いえいえ、前回は
実験で予想が当たることを「失敗」とは言いません
ですが、今回は
実験で予想が外れることを「失敗」とは言いません
です。
前回の記事を書いていてふと思ったのですが「実験は失敗だ」とか「実験の失敗によって...」などと普通に「実験」と「失敗」という言葉が結びつけられている様ですが、では実験が失敗するというのは具体的にはどんなことなのでしょうか。
例えば、前回の「スライムを作製してゴムとの違いを調べよう」といういう実験の場合、スライムがゴムに劣っているという予想を立てて、実際にスライムを作ってみてゴムと比較した結果、強度が十分ではない、という結論に至りました。
これは予測が当たった、だから実験は成功となります。
では、もしも作製した「スライム」がゴムそっくりで全くゴムと見分けがつかない性質を示した、としたらどうだったのでしょうか。予想が間違っていたのだから実験は失敗?
いえいえ、このケースも実験が失敗したとは言えないと思います。
このケース、予想が外れたことがハッキリしたという前提で説明します。(実際にはゴムとスライムの優劣をキチンと比較するのは困難なのでハッキリした結論にはなりにくいのですが。)
実験の結果で予想が外れたらどうするのでしょうか。予想が外れるのは何かの考え違いや見落としがあるという証拠です。もしスライムとゴムがそっくりだとしたらスライムがゴムと入れ替われなかったのには別の原因があるはずです。コストが高いのでしょうか。資源確保に問題があるのでしょうか。いずれにしてもその原因に考えを巡らせることになります。
つまり、予測が外れた場合、予想が出てきた論理を振り返り、前提を検証することで実験をした人は、たとえ予想が外れたとしても、それ以前より進んだ状態に到達することができるのです。
実は科学の研究が前進するのは、このような実験の予想が外れることが切っ掛けになることが多いのです。もっと言えば、科学の研究の本質はこのような予想と実験の繰り返しです。実験は理論に基づいた予想についての自然への問いかけであり、実験で予測が正しいか正しくないかを自然から教えてもらうことで自然に対する理解が深まってゆくのです。
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