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渋谷のハロウィン騒動に思う(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

 浜松祭りを現地でご覧になったことがありますか?

 昼間の凧揚げや夜の屋台引き回しでよく知られた地方のお祭りです。この夜の屋台の各町内会での引き回しの時に、「練り」を行ない新しく子どもが生まれた家を祝います。ある意味「はっちゃけ」の場です。ラッパと笛と太鼓でハッピを着た若者が旗を中心に提灯を持って「わっしょい、わっしょい」と大規模なおしくらまんじゅうをします。祝われた家は未成年にはお菓子で、大人にはお酒でその労をねぎらいます。

 その様子はYouTubeなどで「浜松祭り 練り」で探すと見つかります。

 私も昔々10代の時に一度だけ参加し、その最中に転んで思いっきり踏まれましたが、あの高揚感と開放感は癖になります。そして危険があるからこそ、必死になれる、快感があるというのは否めません。

 岸和田のだんじりや博多の山笠など、危険を伴うそのような「はっちゃけ」祭は日本各地に存在します。このような「祭」により、そのような暴力的なエネルギーを管理した形で安全に発散させる文化が日本にはあります(ありました)。

 今年、社会的な問題になりそうな、渋谷のハロウィンの騒動もそのような「はっちゃけ」の場としての祭だったかと思います。東京のような地域の祭が廃れ、あるいはもともとそのような祭が無く、そこに参加できない若者が多い所では、何らかの形でそのような「祭」が必要なのでしょう。

Fig

 80年代のディスコもそのような「はっちゃけ」の場でした。毎週末、大音量で、他人を押しのけ差別するようなお立ち台を配し、しかし周りへの迷惑を最小限とするために閉じた空間で狂宴が催されていたのも、そしてそれが若者に支持されたのも、そのような「はっちゃけ」の場が必要なことの証拠ではなかったかと思います。

 このような祭は私的になり規模が小さくなれば過激になり、危険なものになります。暴走族の集会はその一例です。小さな組織のルールが大きな社会のルールよりも優先され、交通違反を起こし、人を傷つける危険な行為が行なわれます。

 また、少し前の時代に大学生の飲み会で「一気飲み」がはやったのも、そのような危険を伴う祭を小さく開催していたということでしょう。これもアルハラや急性アルコール中毒による大きな危険を招きます。

 「祭」は小さくしてはダメだということでしょうか。

 渋谷のハロウインの今回の「騒動」はそのような新しい祭のそのような「はっちゃけ」の悪い部分が表に出てしまったものだとおもいます。仮装行列は多少迷惑だ、という程度です。しかし車をひっくり返し、その喧噪にまぎれた犯罪行為などの騒動は大問題です。

 日本でハロウィンが「比較的安全に」定着するには、その祭や地域としての管理が必要になってきます。しかし、禁止してしまうと、また別のもっと過激なそして危険な小さな祭が出てくるおそれがあります。

 しかし、管理の枠をはみ出そうとする者は必ずいます。どんなに管理してもそこから外れようとするはみ出し者は必ずいます。社会にできるのは、そのようなはみ出し者を祭から排除することではなく、祭の枠内に押し戻すことなのでしょう。

片桐 利真

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