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書評 堺屋太一著「平成三十年」その3 物価の安定は何をもたらしたか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回、前々回と堺屋太一氏の著作「平成三十年」について書いています。平成9年から10年にかけて連載されたこの小説で予測された未来とくらべて現実の日本はどう違っているのでしょうか。

 小説の冒頭、主人公の月給が200万円という記述があります。高給取りだなあ、と思いますが実は物価が上がっているのでそれほどでもない。主人公はどちらかというと経済的には苦しいと感じているのです。

 さて、現実の日本はどうだったのでしょうか。1989年の平成元年からの三十年間、ごく初期を除いてほとんど物価は上昇しませんでした。物価が上昇しないこと、これは社会に大きな影響を与えたと考えます。

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 本書の予測では物価が上昇する。そのため年金生活者である主人公の両親は苦しい生活を余儀なくされる、という描写があります。年金は物価上昇にスライドすることになっていたのですが、その基準となる物価基準の計算方法は何度の改訂され、結果として物価の上昇には追い付かないのです。

 このような描写をみると物価高は多くの年金生活者に悲劇をもたらす良くないことのように見えます。しかし、物価が上昇することは過去に働いて貯蓄をしていた人たちよりも、今は働いてお金を稼いでいる人たちが有利になる現象でもあるのです。平成の日本では物価が極めて安定していたということは年金生活者を含む人々の過去の労働の成果にくらべて、今現在に人たちの労働が軽く評価されているということです。この差が生産性が高くなったこと、つまり一定の物財の生産に対して少しの労働で足りること、だけが原因であればよいのですが。

 さて、「平成三十年」で描かれた平成三十年と本当の平成三十年、立場ごとに両者を比べてみましょう。「年寄」は現実のほうがずっと恵まれています。それほどではありませんが「若者」も現実の方がよかったのでは。一番恵まれていないのは「政府」でしょうか。社会保障費の増大による膨大な赤字に苦しんでいるのですから。「平成三十年」上巻の副題は「何もしかなった日本」ですが、現実の日本はそれ以上に何もしなかったということですが、結果としては「それでも何とかなった」のですね。

 

江頭 靖幸

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