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書評 堺屋太一著「平成三十年」その2 資源危機はなぜ起こらなかったのか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 堺屋太一氏の著作「平成三十年」については昨日の記事で評させて頂きました。そこでも書いたのですが平成9年から10年にかけて連載されたこの小説で予測された未来とくらべて現実の日本は安定した状態にある様に見えます。その原因の一つはそれなりの意識改革、制度改革が進んでいることですが、今ひとつの原因は本書で予測されたような「資源危機」が起こらなかったことにあると思います。今回は「資源危機」がなぜ起こらなかったのかを考えてみたいと思います。

 

 もちろん「資源危機」は架空の歴史的な事象であり二〇〇〇年代末に起こった原油や金属資源の不足とそれによる価格の高騰のことです。

 

 おそらく堺屋太一氏は一九七〇年代に起こった「石油危機」をモデルとして「資源危機」を描写したのだと思います。中国など東アジアを中心とした世界規模での高度経済成長がつづけば自ずと資源の限界に衝突するはず。資源の不足が危機的な状況を作り出し、資源を持たざる国の代表である日本は閉塞状況に追い込まれるだろう。これはまさに「石油危機」の際に感じられた雰囲気なのだと思います。

 

 確かに実際の歴史でも資源不足の傾向が見られ、2008年には1バレル100ドルを超える、という事態になりました。しかし2008年に実際の起こったのは金融危機であり、その影響で経済は足踏み状態になり、その結果で原油価格の暴落したのでした。

 

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 さて、この予想と現実のギャップの原因は何なのでしょうか。金融危機の影響で世界の経済成長が予測より遅くなったからでしょうか。それともOPECを中心とした産油国の協調が巧く行かず資源国の交渉力が弱まったことが原因なのでしょうか。

 

 歴史的な事象に対して一つの原因を特定するのは困難なことなのですが、私は予想外の新しい技術の発展がこのギャップの原因なのだと思っています。新しい技術とは何でしょうか。再生可能エネルギーの導入などは平成9年より以前から予想されていたことです。しかし、シェールガスの開発とその実用化の広がりの予測は当時の人にとって疑心暗鬼なものだったのではないでしょうか。

 

 主に米国を中心としたシェールガス開発による新たな化石資源の出現(本当は実用化)は産油国に対する交渉力の源泉となり、結果として産油国間の協調も分断されてしまったのだと思います。

 

 将来を予測する際、新たな技術というものは常に不確定要素となります。別の見方をすれば、新たな技術を開発することは世界を変えることにもつながるのだ、とも言えるでしょう。

 

江頭 靖幸

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