点字ブロック?点状ブロック?(江頭教授)
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このところマルサスの「人口論」についての記事を書いているのですが、今回は「人口論」を現在の日本の状況と比べてみましょう。
良く知られている通り、日本の人口は第二次大戦後から増加を続けていたのですが2008年以降減少に転じています。戦後の人口増加は「人口論」でよく説明できるのですが、問題は最近の人口減少をどのように説明するか、です。
「生活物資は等差級数的にしか増加しない。」
から、人口の成長は抑えられる、というのが「人口論」の説明です。ここで「生活物資」は具体的には食糧、あるいは農業生産物の事なのですが、まずこれは現在の日本では妥当ではない。確かに日本の食糧自給率はカロリーベースで38%と低い値ですが、これは残りの62%の食糧を海外から輸入することができている、ということでもあります。
ではなぜ人口が減っているのでしょうか。
日本の人口の推移(総務省「情報通信白書」より)
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1月19日に都立小松川高校を訪問し,化学実験を実施しました.今回の出張実験の発端は,2014年に都立戸山高校で実施した体験実験です.(このときのブログ記事はこちらにあります. )
当時勤務されていた化学の藤田先生が小松川高校に異動され,改めて体験実験の依頼を頂きました.小松川高校は,東京都の「理数研究校」の指定を受けており,理科教育を活発に進めている高校です.当日は,1年生18名が2班に分かれ,電気分解を利用した金属の表面処理(陽極酸化とめっき)でAl板を虹色にする実験を行いました.虹色めっきの前にマジックでAl板に模様を描くと金属光沢のパターンをつけることができますが,今回実験に参加した生徒さんは拘りが凄く,今までに見た事の無い鮮やかな模様をつけていたので驚きました.
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応用化学科の一期生はこの春卒業の予定。いま卒業研究の仕上げにかかっていますが、昨日と今日(24,25日)は卒業論文の提出日となっています。
卒業論文の提出というのは大学の中では結構なビッグイベントです。提出しなければほぼ自動的に留年決定なのですから、普通のレポートの様に期日までにポストに入れる、という訳にはいきません。場所と時間を決めて担当の教員に提出することになります。内容をチェックして規定を満たさないものは却下。受け取ってもらえた場合は「受領証」に判をもらいます。この受領証は卒論を提出した大切な証拠書類ですから、卒業証書をもらうまで大切に保管することになります。
卒論の提出が間に合わない!というシーン、昔はドラマや漫画で見たような気がしますが今はどうなのでしょうか。実際の卒論提出はやはり厳格なもので、期限通りに提出しないと受け取ってもらえないことになっています。提出する論文は本編とそのコピー2部。全部で3部を提出します。印刷する時間もそれなりに必要ですから余裕をもって準備するべきでしょう。
応用化学科の提出日は本来昨日(24日)なのですが、今日は一応の予備日。何かの事情で提出できなかった人向けの時間です。この場合は理由書を作成、指導教官が確認して押印することが必要条件です。
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昨日の記事ではマルサスの「人口論」について紹介しました。「人口増加は幾何級数的」であるから、食糧生産の限界によって必然的に飢餓をもたらす、という内容は、実は1972年出版の「成長の限界」とよく似た部分があると思います。と言うか「人口論」は「成長の限界」よりずっと以前に書かれているので「成長の限界」が「人口論」を前提としているのですね。
両者に共通するのは「幾何級数的」あるいは同じ事ですが「指数関数的」な成長の特徴、というか恐ろしさでしょう。「人口論」では人口が単体で議論されますが、「成長の限界」では人口に工業生産を含めた文明の規模が対象となっています。いずれも「幾何級数的」「指数関数的」に成長する特性を持っていて、早晩限界に到達する。野放図に成長がつづけば、それが限界に達したとき、悲劇的な形、具体的には多くの人の死、という形で成長が抑えられることになる。この議論はどちらの書物にも共通しています。
では「成長の限界」はどこが新しかったのでしょうか?
国連食糧計画(WFP)が作成したハンガーマップ(世界のどこで飢餓が深刻なのか、を示した世界地図)です。世界では8億人以上の人が飢餓に苦しんでいます。
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「人口論」は18世紀の英国の経済学者、トマス・ロバート・マルサスによる古典的な書物です。原著は1798年に英語で書かれた書物ですが、日本語にも翻訳されており、吉田秀夫氏による1948年の翻訳版は青空文庫で無料で読むことができます(全部ではありませんが)。今回紹介するのは2011年に光文社から斉藤 悦則氏による翻訳で 「光文社古典新訳文庫」の一つとして出版されたもので、私はその電子書籍版を読みました。「新訳文庫」とタイトルにある通り、より現代的な訳文で読みやすくなっています。
「人口論」の第一章で著者のマルサスは以下の二つを前提として議論を進めるとしています。
第一に、食糧は人間の生存にとって不可欠である。
第二に、男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続する。
(「性欲」って...。1948年版の翻訳では「情欲」となっていてなかなかの品格なのですが、まあ、新訳の方が分かりやすいですね。)
さて、この前提からマルサスは
人口は、何の抑制もなければ、等比級数的に増加する。
と結論します。それに対して
生活物資は等差級数的にしか増加しない。
といいます。前後の文脈から「生活物資」は食糧を意味しているとみなして良いでしょう。
この二つの条件から人間の社会で飢餓が無くなることはない、全ての人が豊かに暮らせる理想的な社会が到来する(「人間と社会の完成」と表現されています)ことは不可能だ、と述べているのです。
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書評とは少し違うかも知れませんが、今回は「マイケル・サンデルの白熱教室2018」について書いてみたいと思います。私が見たのは今年(2019年)のお正月にやっていた再放送で、本放送は2018年の6月から行われていたようです。
さて、「マイケル・サンデルの白熱教室」、2018とついている様に以前から続いている番組の最新版です。最初の「白熱教室」の放送は2010年だったでしょうか。講堂一杯の学生と討論形式で進めるという授業形式はなかなか高度なもので、私の周りでも話題になった記憶があります。
「なるほど...。君の名前は。」
というサンデル教授のものまねが流行っていたような。
さて、2010年の「白熱教室」は大学(ハーバード)の講義でしたから対象者は学生。2018では「世界の若者たち」という括りで背景の異なるいろいろな人たちが参加しています。もちろん、流ちょうに英語を操れることは必須ですし、その上で場所が非英語圏のギリシャの遺跡と設定されていることから非常に偏った人選となることは致し方ないでしょう。世界の、という割りに日本人は1人もいませんし、インドの農民や中国共産党の若手幹部の姿も見えません。それにプラスして「若者」という方にも疑問が。30代後半って若者なんでしょうか?
こうなると、今回の議論に参加している「世界の若者たち」はかなり偏った構成になっていて、欧米の高度な教育を受けて非常に成功した、しかも高齢化の進んだコミュニティのメンバーだ、ということがいやが上にも意識されてしまいます。
要するに恵まれすぎるほどに恵まれている人たち。ハーバード大学の講義であった最初の「白熱教室」ならこのような偏りも織り込み済みです。「正義論」は社会のリーダー層にむけた教養として教えられている。2018年版も同じ前提を共有しているのですが、この番組を作成した人たちはその点について意識的だったのでしょうか。
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お正月休みが終わって今日でちょうど一週間になりました。今週で金曜日の授業は終了です。
と、書いたのが先週の金曜日。なのですが、今日は授業が予定されています。そうです、本日は後期の「補講日」に当てられているのです。
補講というのは本来予定していた授業ができなくなった場合、その時間に行う予定だった授業を別の日にやり直す、ということです。(成績不振の人に向けた授業は補習ですね。)多くの場合は教授が都合で授業をできない、という理由で補講となります。小中学校、あるいは高校でも先生が都合で授業を休むということはほとんど無いと思います。ただ、大学の教授は時として授業を休まないとならないケースがあるのです。大学教員の責務は教育と研究の両方ですから、研究の関係で授業に出られない、というのが多いですね。
今日は私自身も補講をすることになりました。学会の会議に出席するため一回休講にしていたのです。月曜日の授業を補講に回したので今日金曜日に授業をして来週の月曜日にまた授業、というちょっと慌ただしい学期末になってしまいました。
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「サステイナブル工学プロジェクト演習」、先日その最終報告会の予選について紹介しましたが、今回は本選についての紹介です。
昨日、16日には半年、というか後期15回の授業の最終回として「最終報告会」の本選が開催されました。本選、とあるのは先週予選を行い選抜された班による発表会であること(これは本選の本の部分)と、今回の選ばれた班が学部長賞で表彰されること(これが本選の選の部分)によります。
「サステイナブル工学プロジェクト演習」は本学工学部の3年生によるグループワーク形式の授業です。特徴としては3学科合同の授業であること。異なる学科の学生が集まってグループワークを行うことになっています。三学科合同で約300人、通常授業は二クラスに別れ、各27班でのグループワークとなります。
予選では全54班がグループワークの成果を8会場に分かれて発表し、その中から10班が今回の本選に進みました。
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そうか、今のうちに4年生から始まる卒業研究を行う研究室を決めないとね。授業が終わって春休みになってからだと説明会を行うタイミングが難しいからいっそ試験期間の前に、という訳か。
ええ確かに。でも実はこの説明会、2年生向けなのです。
応用化学科では2年生で研究室に配属されます。でも配属されるのは2年生の3月30日。その2日後には3年生になりますから、実質的には3年生の初めからの配属となります。
「えっ?3年の初めって早くない?」その通りですね。実はこれ、本学工学部の特徴であるコーオプ教育との関係で決まりました。応用化学科の学制諸君は3年の前期にコーオプ実習として学外での研修を行うことになります。従って、3年前期、学生諸君は大学から離れて学外に出る時間が長くなります。早期の配属を行うとしたら3年前期には無理。夏休みを過ぎれば3年後期になってしまいます。ということで、少々早いですが2年後期末のこの時期に説明会となったのです。
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プラスチックのリサイクルについて、以下の様な話を聞いたことはありませんか?
プラスチックは石油からつくるけれど石油のほとんどは燃料として利用されている。プラスチックのリサイクルをしても節約できるのは石油なのだから、プラスチックをリサイクルするのはやめて燃料として燃やせば良いのでは。
なるほど、一理ありそうです。でも「プラスチック循環利用協会」の資料をみるとプラスチックのリサイクル率(おっと、正確には有効利用率です。この点は後述。)は2016年の統計で84%に達していると言います。やっぱりプラスチックはリサイクルすべきなのでしょうか。それとも日本はリサイクルを重視しすぎて間違った選択をしているのでしょうか。
答えは「リサイクル」という言葉の定義に関わっています。普通「リサイクル」という言葉を使うとき私たちが想像するのは「使用済みのPETボトルをそのままPETボトルとして利用する」というイメージではないでしょうか。例えば「リサイクルショップ」という言葉で使われている「リサイクル」は確かにこのような意味だと思います。でもこれ、正確には「リユース」ですよね。(「リユースショップ」と言うべきかな、と思って検索したら本当にあるんですね。こういう名前。)
「リサイクル」という言葉をリユースと区別するなら、「使用済みPETボトルを溶かしてもう一度PETボトルを新しく作り直す」という意味でしょうか。でも、使用済みのPETボトルにはどうしても不純物が入り込むので、このような「リサイクル」を実現するのはきわめて困難です。実のところPETボトルに限定するなら可能なのですが、他のプラスチックが混ざってしまった場合PETボトルの成分だけを分離してリサイクルするのは非現実的です。
このように厳密な意味でリサイクルを考えると84%がリサイクルされているというデータはにわかには信じがたいことに思えます。
さてこの問題、ポイントは「リサイクル」という用語に「もとのプラスチック製品以外のものとして再利用する」という方法が含まれている、という点にあります。
プラスチック循環利用協会「プラスチックリサイクルの基礎知識2018」より。
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「三角関数を義務教育で教えるべきか」という議論が一部で盛り上がっていたそうですが、今回はそれに便乗してみましょう。
私も中学時代に三角関数を習ったわけですが、その際に三角関数の加法定理を習って、それを暗記させられた記憶があります。「サインコサイン、コサインサイン、コサインコサイン、サインサイン」なんて唱えながら覚えたものです。あと「プラプラ、マイマイ、プラマイ、マイプラ」ですね。
そんなことをしながらふと思いました。
「どうしてこんなにややこしいのだろう?」「sin(α+β)=sin(α)+sin(β)ではなぜいけないのだろう?」
そこまで考えて突然理解しました。
「sin(α+β)=sin(α)+sin(β)となる関数を考えてもよいが、それは実際の三角形とは無関係な何かになってしまう。関数と関数につける名前は別のもの。関数の名前は人間が勝手につけたものだが、関数にはそれ自体の本質があって、人間が自由に変えることはできないのだ。」
何を当たり前の事を、と思われるかもしれません。しかし私にとっては、人間が変更することのできない数学的な真実というものの存在がすっと腹に落ちた瞬間だったのです。
私の場合はその後の進路から三角関数を使う側の人間になったのですが、たとえそれがなかったとしても、この関数についての理解、もっと言えば数学についての理解は非常に重要だったのではないかと思います。でも、数学の教科書を作っている人たちも私の通っていた中学の数学の先生も別に「加法定理で数学の神髄を教えてやろう!」と思っていたわけではないでしょう。三角関数以外の部分で同様の理解に達した人もたくさんいたと思います。
(三角関数の加法定理:Wikpediaより。普通上の二つ、sinとcosを加法定理と呼ぶと思います。)
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1月9日「サステイナブル工学プロジェクト演習」最終発表会の予選が開催されました。これは本学工学部の3年生によるグループワークでの発表会です。この「サステイナブル工学プロジェクト演習」の特徴は3学科合同の授業である、という点ですが、この中間発表に向けた取組では異なる学科の学生が集まってグループをつくることが特徴になっています
さて、今回の最終発表(予選)はスライドを用いた口頭発表です。54班の発表、さすがに一会場では捌ききれないのでパラレルセッションとなりました。発表は8会場で同時進行し、我々教員は手分けして各会場での発表を聞きくことに。
さて、今日の最終報告会は予選、ということで各会場の教員には、6~7件の発表の中から本選に進出する班の選定する、という作業も。各会場での厳正な審査の結果、無事、本選に進む班を選定することができました。
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皆さんは「フード・アクション・ニッポン」という活動をご存じでしょうか。検索すればすぐに以下の様なホームページが出てきます。このホームページの中でフード・アクション・ニッポンとは、
日本の食を次の世代に残し、創るために、日本の食料自給率の向上を目指した国産農林水産物の消費拡大の取組です。より多くの国産農林水産物を食べることによって食料自給率の向上を図り、食の安全と豊かさを確かなものとして子供たちの世代へ引き継いでいくことを目指します。
と説明されています。農林水産省が主導する国産農産物の振興のための事業の様ですね。
この活動の国産農産物の消費拡大までは納得できるのですが、そのあとにつづく「食料自給率の向上」という目標はどうでしょうか。今回は食料の自給率について考えてみたいと思います。
まず、現在の日本の食糧自給率はどの程度なのでしょうか。これも検索すれば農林水産省のデータがすぐに確認できます。カロリーベースで38%、生産額ベースでは65%となっています。
生産額とカロリーでは大きな違いがありますが、野菜など値段が高い割にカロリーは低い食品が多いこと、そもそも輸入食品が安いことを考えると、この違いも理解できると思います。
では、この自給率は「問題」なのでしょうか。
フード・アクション・ニッポンの立場は問題だ、というものなのでしょう。でも、どうして?
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正月のNHKのBSでこのベストセラーの解説番組をやっていました。面白そうだったので、正月の休みに少しどっしりとした本を読もうかなと思い正月2日の初詣の帰りに購入しました。しかし、正月の休み明けの7日現在、まだ上巻を読み終え、やっと下巻に入ったところです。普通この厚さの本は上下巻でも2日あれば読破できるのに、いろいろ引っかかって全然前へ進めません。読みはじめて少し後悔しています。まだこの後に続編の「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」が控えていると考えると,気が遠くなります。
視点は確かにおもしろい本です。というよりも視点でごりごりと押してきています。歴史書のような顔をした哲学書です。
上巻はサルとヒトとの違いを「認知革命」というキーワードで分析しています。しかし、この議論の論拠は必ずしも完全ではありません。特に今から7万年前のトバ・カタストロフィについての記述とその意義を欠いています。
トバ・カタストロフィとは、インドネシアのトバ火山の噴火による大きな地球環境の変動により、サピエンスは数千個体にまで減ってしまった(ボトルネック)という学説です。この人類という種のボトルネックにより人類の多様性は失われてしまったと言われています。実際、サピエンス種の体格などのばらつきは犬などに比べて比較的小さいものです。トバ・カタストロフィについては異論も多く、まだ確立したものではありません。しかし、この説を採用すればこの本「サピエンス全史」の主張するいろいろな事象をよりスマートに説明できるのに、著者はそれをあえて採用していません、そこにある種の意図を感じます。
他の動物はそのような地域的な拡散を行なわなかったのに、サピエンスはなぜユーラシア大陸から全世界に広がらなくてはならなかったのか?。それについての記述には、このような大きな地球の気候変動についての記述を必要とするのではないか?。それを無理矢理に人類の自発的な行動である、としたいように読めます。このようなことを考えながら読むと、ページが前に進みません。
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高橋 洋一
「未来年表 人口減少危機論のウソ(扶桑社新書)」
扶桑社(2018)
この本のタイトル、明示はされませんが
河合 雅司著「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)」講談社(2017)
を意識してつけられているのだと思います。(こちらの本については以前このブログでも紹介しました。)ただ、注目してほしいのは「人口減少危機論のウソ」というサブタイトルであって「人口減少論のウソ」ではない、という点です。人口減少が起こることは当然のこととしてみとめたうえで、でもそれは危機ではない、というのが本書の主張です。「だからどうした?」という帯の煽り文句からわかるように、人口減少による変化は変化として受け入れることは可能であり、むしろ人口減少に危機感を感じて馬鹿なことをしないことが大切だ、というのです。
「馬鹿なこと」とは何か。国としては移民の受け入れであり、個人としては国の年金制度を利用しないことだ、といいます。
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今年2019年、いろいろな行事が予定されていますが、中でも大きなイベントの一つが消費税増税ではないでしょうか。10月から8%の税率を10%に引き上げることが予定さています。
消費税が上がる日程が近づくといろいろなモノやサービスへの駆け込み需要がひろがり、一時的に経済活動は活発になります。しかし、実際に税率が上がってしまうとこんどは買い控えが広がって景気が落ち込む、というのが考えられる推移です。増税前に大きくプラス方向に触れた消費は増税後には落ち込み、やがて元の水準に戻っていくでしょう。個人の立場からすると、今年は10月前までに欲しいものは買っておこう、とはいえまた欲しいものが出てくるのでいつかは10%の消費税を受け入れるしかない、ということでしょうか。
この議論、特に間違っている点は無いように見えますが、じつは大きな仮定が隠されています。しかも妥当かどうか、怪しい仮定です。
もったい付けずに言いましょう。消費者は増税されても同じだけのモノとサービスを消費するはずだ、という仮定です。税率が上がったら、上がった分だけ生活費を切り詰める人がいるのではないか。というか、そうする人が多いのではないでしょうか。そうなると上記の「駆け込み需要」はあるのですが増税後に落ち込んだ市況はもとには戻らない。そのまま恒久的に不景気になってしまう、というケースもあり得るのではないでしょうか。
以前、「書評 堺屋太一著 「知価革命(PHP研究所)」 (江頭教授)」という記事の中で「知価」すなわち「知恵の価値」について紹介しました。
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新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
本学、東京工科大学の工学部の一翼を担う応用化学科、その開設は2015年でした。それ以来3年と9ヶ月、2015年に入学した第一期生は今年の3月で4年間の課程を終了し、あるものは新社会人として、あるものは本学の修士課程の学生として新たな門出を迎えることとなります。
第一期生は2017年、4月には本学工学部が準備を進めてきたコーオプ教育のメインとなる「コーオプ実習」として、学外での有給の修行体験に参加しました。同年9月からはサステイナブル工学教育のクライマックス、他学科の学生と協力して実施するLCAを中心とした実践的なグループワーク「サステイナブル工学プロジェクト演習」に取り組みました。そして2018年の4月から開始された第一期生の卒業研究は、いま正にクライマックスを迎えているところです。
新年に入っての卒業論文の作成と発表会によって本学工学部応用化学科の設立時に計画されたカリキュラムが完成されることになります。第一期生の卒業に合わせ、本学の大学院のサステイナブル工学専攻がスタートします。今年は応用化学科にとって完成の年であると同時に始まりの年ともなるでしょう。