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三角関数で関数の概念を学んだ!(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「三角関数を義務教育で教えるべきか」という議論が一部で盛り上がっていたそうですが、今回はそれに便乗してみましょう。

 私も中学時代に三角関数を習ったわけですが、その際に三角関数の加法定理を習って、それを暗記させられた記憶があります。「サインコサイン、コサインサイン、コサインコサイン、サインサイン」なんて唱えながら覚えたものです。あと「プラプラ、マイマイ、プラマイ、マイプラ」ですね。

 そんなことをしながらふと思いました。

「どうしてこんなにややこしいのだろう?」「sin(α+β)=sin(α)+sin(β)ではなぜいけないのだろう?」

 そこまで考えて突然理解しました。

「sin(α+β)=sin(α)+sin(β)となる関数を考えてもよいが、それは実際の三角形とは無関係な何かになってしまう。関数と関数につける名前は別のもの。関数の名前は人間が勝手につけたものだが、関数にはそれ自体の本質があって、人間が自由に変えることはできないのだ。」

何を当たり前の事を、と思われるかもしれません。しかし私にとっては、人間が変更することのできない数学的な真実というものの存在がすっと腹に落ちた瞬間だったのです。

 私の場合はその後の進路から三角関数を使う側の人間になったのですが、たとえそれがなかったとしても、この関数についての理解、もっと言えば数学についての理解は非常に重要だったのではないかと思います。でも、数学の教科書を作っている人たちも私の通っていた中学の数学の先生も別に「加法定理で数学の神髄を教えてやろう!」と思っていたわけではないでしょう。三角関数以外の部分で同様の理解に達した人もたくさんいたと思います。

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(三角関数の加法定理:Wikpediaより。普通上の二つ、sinとcosを加法定理と呼ぶと思います。)

 三角関数を教える・教えないという議論では三角関数の有用性や一般の人たちの生活で三角関数を使うか使わないかといった議論がされているように思います。でも、私自身の例の様に、関数の、ひいては数学というものの概念を理解するために役立ったという経験をした人間もいるのです。使う使わないといった目先の実利を超えた視点が教育の議論には必要だと思います。確実なのは数学を教えなければ数学的な真実というものの存在も理解できないということです。

 さて、三角関数の話にもどりましょう。数学教育の一部として関数という概念を教える素材として考えたとき、三角関数は非常に良い素材ではないでしょうか。具体的な利用局面を簡単にイメージできるうえに、単なる代数関数では表せないこと、表せないにもかかわらず sin とか cos とかの名前をつけることで実際に利用できるようになることなど、関数というものを考えることの有用性がよくわかると思います。三角関数を教えることの背景には関数という概念の教育があり、その入り口として三角関数は少なくとも第一種変形ベッセル関数とかよりは適当だと思うのですが…。

江頭 靖幸

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