書評 マルサス 「人口論」 (光文社古典新訳文庫)(江頭教授)
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「人口論」は18世紀の英国の経済学者、トマス・ロバート・マルサスによる古典的な書物です。原著は1798年に英語で書かれた書物ですが、日本語にも翻訳されており、吉田秀夫氏による1948年の翻訳版は青空文庫で無料で読むことができます(全部ではありませんが)。今回紹介するのは2011年に光文社から斉藤 悦則氏による翻訳で 「光文社古典新訳文庫」の一つとして出版されたもので、私はその電子書籍版を読みました。「新訳文庫」とタイトルにある通り、より現代的な訳文で読みやすくなっています。
「人口論」の第一章で著者のマルサスは以下の二つを前提として議論を進めるとしています。
第一に、食糧は人間の生存にとって不可欠である。
第二に、男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続する。
(「性欲」って...。1948年版の翻訳では「情欲」となっていてなかなかの品格なのですが、まあ、新訳の方が分かりやすいですね。)
さて、この前提からマルサスは
人口は、何の抑制もなければ、等比級数的に増加する。
と結論します。それに対して
生活物資は等差級数的にしか増加しない。
といいます。前後の文脈から「生活物資」は食糧を意味しているとみなして良いでしょう。
この二つの条件から人間の社会で飢餓が無くなることはない、全ての人が豊かに暮らせる理想的な社会が到来する(「人間と社会の完成」と表現されています)ことは不可能だ、と述べているのです。
私はマルサスの主張についてはなんとなくの知識しかなかったので「人口増加が等比級数的なのは分かるが、食糧生産が等差級数的なのはどうしてだろう?」と思っていました。
「人口論」を読んでみるとマルサスの主張は「食糧生産は確かに現在(18世紀です)は増えているが、いずれ限界がくる。せいぜい等差級数的にしか増えない。」という、大きく見積もった場合でもここまでだ、という表現だということが分かりました。なるほどこれなら納得できますね。
さて、この人口と食糧についての法則については納得できるのですが、だからといって全ての人が豊かに暮らすことができない、貧困と飢餓に苛まれるひとが必ずいる、という議論はどうなのでしょうか。
まるで人々が食糧が不足しないように適切な家族計画をたてて人口を調整することができないかのような結論なのですが、果たしてその通り。マルサスは愚かな人間が居て、人間の本能(性欲?)に任せて行動すると考えていたのです。
人間は愚かだ、というよりは愚かな人間がいる、なのです。マルサスは知的な上流階級の人々にむけて「人口論」を書いたのですが、下層階級の人々はこのような理屈を理解することはできず、節操なく人口を増やして飢餓を起こさせる、と考えていた訳です。
「社会の分断がー」とか言う以前の時代のお話で、18世紀の上流階級からみれば自明な社会像だったかも知れません。「人口論」は驚くほど客観的な人間の人口変化に対する説明なのですが、これは下層階級の人間を本当に客観的に見ていればこその視点なのかも知れません。現在の我々からはショッキングな見方なのですが、そのなかには無視できない真理が含まれてるように私は思います。
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