書評「マイケル・サンデルの白熱教室2018」(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
書評とは少し違うかも知れませんが、今回は「マイケル・サンデルの白熱教室2018」について書いてみたいと思います。私が見たのは今年(2019年)のお正月にやっていた再放送で、本放送は2018年の6月から行われていたようです。
さて、「マイケル・サンデルの白熱教室」、2018とついている様に以前から続いている番組の最新版です。最初の「白熱教室」の放送は2010年だったでしょうか。講堂一杯の学生と討論形式で進めるという授業形式はなかなか高度なもので、私の周りでも話題になった記憶があります。
「なるほど...。君の名前は。」
というサンデル教授のものまねが流行っていたような。
さて、2010年の「白熱教室」は大学(ハーバード)の講義でしたから対象者は学生。2018では「世界の若者たち」という括りで背景の異なるいろいろな人たちが参加しています。もちろん、流ちょうに英語を操れることは必須ですし、その上で場所が非英語圏のギリシャの遺跡と設定されていることから非常に偏った人選となることは致し方ないでしょう。世界の、という割りに日本人は1人もいませんし、インドの農民や中国共産党の若手幹部の姿も見えません。それにプラスして「若者」という方にも疑問が。30代後半って若者なんでしょうか?
こうなると、今回の議論に参加している「世界の若者たち」はかなり偏った構成になっていて、欧米の高度な教育を受けて非常に成功した、しかも高齢化の進んだコミュニティのメンバーだ、ということがいやが上にも意識されてしまいます。
要するに恵まれすぎるほどに恵まれている人たち。ハーバード大学の講義であった最初の「白熱教室」ならこのような偏りも織り込み済みです。「正義論」は社会のリーダー層にむけた教養として教えられている。2018年版も同じ前提を共有しているのですが、この番組を作成した人たちはその点について意識的だったのでしょうか。
さて、実際に討論の内容ですが、上記の「恵まれすぎるほどに恵まれている人たち」であるという特徴が議論にも反映されているようです。議論の中では「多様性」という概念が高い価値をもつものとして語られているのですが、どうやらこの議論に集まった人たちには多様性が不足しているのではないか、そんな風に感じられました。
なかなか衝撃的だったのは1回目、移民に対する議論のなかで「たまたま裕福な国に生まれた国民が、移民の受け入れを拒否する権利は無い」という意見があり、さらに進んで「人は親からの遺産を受け継ぐ権利はない」という発言が飛び出してきたことです。
この議論、じつはもう少し複雑で発言者の意見は、自分の親の財産は自分達が属しているコミュニティ全体で分かち合うべきだ、そして、実際には引き継ぐほどの遺産はないけれど、と続いています。
こんな意見が言えるのは親に引き継ぐほどの財産がないからではなく、自分に十分稼いで豊かに暮らせるだけの自信があるからだと思います。それに「人は親からの遺産を受け継ぐ権利はない」という意見に賛成するなら、他のたくさんの遺産をもらった人にもその正義を強制することになるのでしょうか。逆に、子どものためを思って遺産を残そうと努力する親は不正義を成しているので、その財産は没収するべきなのでしょうか。
2010年の授業としての白熱教室とくらべて今回の白熱教室はより現実に近い課題を扱っています。それもあって、「正義論」の限界がより明らかになったよう私には感じられたのでした。
「書評」カテゴリの記事
- 書評 マルサス 「人口論」 (光文社古典新訳文庫)(江頭教授)(2019.01.23)
- 書評「マイケル・サンデルの白熱教室2018」(江頭教授)(2019.01.21)
- 書評 ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福」河出書房新社(片桐教授)(2019.01.08)
- 書評 高橋洋一著「未来年表 人口減少危機論のウソ」(江頭教授)(2019.01.04)
- 書評 堺屋太一著「平成三十年」その3 物価の安定は何をもたらしたか(江頭教授)(2018.12.28)