消費税増税と知価社会 今年のカレンダーを眺めながら(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
今年2019年、いろいろな行事が予定されていますが、中でも大きなイベントの一つが消費税増税ではないでしょうか。10月から8%の税率を10%に引き上げることが予定さています。
消費税が上がる日程が近づくといろいろなモノやサービスへの駆け込み需要がひろがり、一時的に経済活動は活発になります。しかし、実際に税率が上がってしまうとこんどは買い控えが広がって景気が落ち込む、というのが考えられる推移です。増税前に大きくプラス方向に触れた消費は増税後には落ち込み、やがて元の水準に戻っていくでしょう。個人の立場からすると、今年は10月前までに欲しいものは買っておこう、とはいえまた欲しいものが出てくるのでいつかは10%の消費税を受け入れるしかない、ということでしょうか。
この議論、特に間違っている点は無いように見えますが、じつは大きな仮定が隠されています。しかも妥当かどうか、怪しい仮定です。
もったい付けずに言いましょう。消費者は増税されても同じだけのモノとサービスを消費するはずだ、という仮定です。税率が上がったら、上がった分だけ生活費を切り詰める人がいるのではないか。というか、そうする人が多いのではないでしょうか。そうなると上記の「駆け込み需要」はあるのですが増税後に落ち込んだ市況はもとには戻らない。そのまま恒久的に不景気になってしまう、というケースもあり得るのではないでしょうか。
以前、「書評 堺屋太一著 「知価革命(PHP研究所)」 (江頭教授)」という記事の中で「知価」すなわち「知恵の価値」について紹介しました。
そのなかでこの堺屋太一氏の本の以下の様な考え方を紹介しながら
物質的な貧しさを克服して豊かな社会になってゆくまでは、物が提供する基本的な機能そのものが価値だった。(中略)そんな時代が過ぎ去って、生きてゆくためには充分な物が供給されるようになったとき、さらなる価値を創り出すのは知恵である。
自分なりの結論として
これは逆の言い方をすれば、知恵を絞ればさらなる価値を創り出すことができる、とも解釈できるでしょう。
とまとめておきました。
このような考えから先の消費税増税の議論を見直すと、「知恵を絞って」創り出した新たな「価値」は、実は人間の物質的な要求に裏付けされていないものだ、ということがとても重要に思えてきます。
消費税の増税によって可処分所得が減ったとき、人々は簡単に「知価」を手放してしまうのではないでしょうか。食べ物を節約するには限度がありますが、贅沢を我慢することはできる。これは個人としては正しい態度ではあるでしょうが、日本の経済全体にとっては大きな衝撃となりうる行動だと思うのですが...。やっぱり増税はまた延期にしませんか?
「解説」カテゴリの記事
- 災害発生時の通信手段について(片桐教授)(2019.03.15)
- 湿度3%の世界(江頭教授)(2019.03.08)
- 歯ブラシ以前の歯磨き(江頭教授)(2019.03.01)
- 環境科学の憂鬱(江頭教授)(2019.02.26)
- 購買力平価のはなし(江頭教授)(2019.02.19)