「世界で最も大食いな8人が世界の小食な半分の36億人に匹敵する食料を食べている」なら大問題ですが(江頭教授)
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タイトルを見て何の話か、と思われたかもしれません。これは「世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有している」を元ネタにしたものです。
要するに貧富の差が激しい、という話で先に紹介した「マイケル・サンデルの白熱教室2018」もの第4回で触れられている情報ですが、さてオリジナルはどこから出てきたのでしょうか。
少し調べてみるとOxfamという団体からの発信でした。Oxfamは貧困の無い公正な世界を目指す国際協力団体でオックスフォードで設立されたといいます。「オックスファム」という名前にその影響が残っています。上記の事実は、この団体の2017年の年次報告書「99%のための経済」のなかで言及された事実だそうです。
この事実は現在の世界の極端な格差を象徴的にしめすものであり、Oxfamの主張としては「納めるべき税金はなるべく回避する。支払うべき賃金はなるべく抑える。カネの力で政治を動かし、経済のルールを自分たちの都合のよいように書き換える。こうした方針を取る大企業や大富豪が、格差の拡大を加速させてい」るのであり、「経済を私たちの手に取り戻し、「ヒューマン・エコノミー(人間らしい経済)」を実現しなければ」ならない、と言います。
はて、これはどう考えるべきなのでしょうか。私にはこの事実を強調することが「ヒューマン・エコノミー」の実現にどう関係するのかよくわかりません。
世界の富の総量が決まっていて、裕福な8人が取り上げてしまうから世界の貧しい半分の36億人にお金がないのでしょうか。例えばこれが食料が対象なら世界の食料の総量は大体決まっているでしょうから、大食いの8人がたくさん食べるとほかの人たちの分け前が減ることになります。これは大問題です。世界の半分のひとの食糧が不足するというよりも大食いの人たちの健康が気になります。というか普通の人の4億5千万倍の食糧を口に入れるだけでもヤシオリ作戦並みの装備が必要な気がします。もし資産というものが世界全体で一定量であるならば裕福な8人がお金を集めすぎたために36億人の人が貧しい、という意見にも利があるでしょう。
しかし、お金、というか資産というものはそういうものではないと思います。自分の財布に入っているお金は総量が一定であり、何かに使えばほかのことには使えない。しかし、世界の、とまで言わなくても一つの国のお金の量はいろいろな仕方で調整されるものです。そんななか、異なる貨幣を使う人たちの資産を比較してどうこう言うことにどの程度の意味があるのでしょうか。
確かに莫大な資産を持つ人たちはその資産で自分たちの望むことができるでしょう。しかし、彼らとて殺人を犯せば法の下に罰せられるはずです。(少なくとも建前上は。)
そう考えると、私には「一人の独裁者が核ミサイルの発射ボタンに手をかけている」という状況のほうがよっぽど狂った世界を表しているように思えるのですが…。
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