環境科学の憂鬱(江頭教授)
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地球温暖化は深刻な地球環境の問題です。パリ協定では世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃以下に抑える、という目標を掲げていますが、さてこの目標は「十分」だと言えるのでしょうか。
「一日の中でも温度が20℃近く変化する日がある。だから2℃くらい大したことはない。」それはそうなのですがここで目標とされているのは平均気温です。例えば八王子の最高気温の記録は2018年7月23日の39.3℃ですが、これが41.3℃になる、ということだと考えると深刻です。それに温暖化による気温上昇は時間的にも空間的にも均一に起こる現象とは限りません。より気温の上がるところ、雨が多く降るところ、逆に寒気や干ばつに襲われるところもあるでしょう。
では目標値はどうあるべきなのでしょうか。人間による地球環境への干渉を問題として位置付けるとすれば目標値はずばり0℃。産業革命前の水準を目的とするならば0℃以下が目標であるべきです。であれば人間は工業生産活動を直ちに中止し、この惑星の生態系の平穏を祈念しつつ西方浄土へと旅立つべきなのです。
もちろん、これは理想論というより極論、はっきり言えば冗談ですが、でも「環境科学」という枠組みからはこのような答えしかでてこないのではないでしょうか。そう考えると「環境科学」は憂鬱な学問のように思えてきます。
出典)温室効果ガスインベントリオフィス
全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト(http://www.jccca.org/)より
より具体的にどこかの企業が「環境負荷を最小にすること」をミッションとして掲げたとしましょう。このミッションを完全に達成する方法は「何もしないこと」に尽きると思います。
何もしないのでは社員に給料が払えない?では全員解雇で。株主配当が…上場廃止。無配上等。では社長の私はどうすれば…えーい解散解散。もうこの会社終わり。
なるほど、と思った社長さんはすぐに辞任していただきたい。「環境負荷を最小にすること」はミッションとなりえない、というかこのミッションには実は条件が付いているのです。
この条件が具体的には何なのか、環境科学の枠組みからこの条件を見つけることはできないでしょう。人々が企業に何を求めるかは客観的な科学的な事実とは異なり、異なる立場の異なる人々によって様々に変化する主観なのですから。
環境問題は「科学なしでは解決できないが科学だけでは解決できない」問題の典型的なものだと思います。科学以外の部分、主観的な価値判断の部分は科学の外からもたらされるものです。
本学が提案するサステイナブル工学は「環境に配慮したモノづくり」であって「環境のためのモノづくり」ではない。「自然・環境」だけが唯一の価値ではなく「人間・生活」や「産業・経済」のバランスが協調されるのはこの視点があるからだと私(江頭)は考えています。
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