ブログシステム、トラブルです。(江頭教授)
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昨年、NHKで「自宅で死を迎えること」についての報道がありました。
自宅での自然な穏やかな死を迎えることを希望していたおばあさんが家で倒れたときに、それを見た家族が動転して慌てて救急車を呼んだところ、本人の希望していない蘇生を施され病院へ搬送されそうになった事例です。このケースではかかりつけのお医者様が間に合い、自宅でお見送りをできたそうです。
(https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1002.html)
本人は希望していないとしても、救急隊員の立場では蘇生処置をして病院に運ぶ社会的道義的「義務」があります。しかし、それは本人と家族の立場には、望まないものです。
さて、このとき、そのおばあさんの命の選択権は誰にあると考えるべきなのでしょうか。社会でしょうか本人を含めた家族でしょうか。これは倫理の問題です。個人の権利とコンプライアンスの衝突です。
この衝突の原因は何だったのでしょうか?。なぜ、このような衝突が起きてしまったんでしょうか。
いろいろな学会の倫理規定は「情報の公開」を明示しています。しかし、情報公開は常に最善の選択ではありません。これは講義「安全工学」で取り上げたシティコープビルの事例から示されます(ブログ2016.7.15)。
救急搬送のケースにおいて、このようなコンプライアンスと本人の希望の葛藤を生じさせたものは、家族による救急通報という「情報の公開」ではないでしょうか。本人と家族とかかりつけのお医者様の間でことをおさめれば、何の問題もなく、本人の希望する静かな最後を迎えられたでしょう。
私はむかし、危機管理のまねごとを行なっていました。
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1月16日に開催した「研究室配属に関する説明会」、その結果を受けて研究室配属の結果が公開されました。
説明会後、本学の2年生諸君は所定の用紙に希望の研究室を書いて提出しました。(これが全研究室分1位からずっと順位を付けていくスタイルです。もし配属に際して口頭試問があったら「なぜうちの研究室を最下位に書いたのかね?」と聞きたいところです、なんてね。)
さて、今回の配属結果公表日は3月7日。説明会から配属発表まで一ヶ月以上、というより二ヶ月近くです。時間がかかりすぎでは?そう思った人も多いかも知れませんね。
研究室配属は学生さん達の希望優先しています。この場合、どうしても希望者数のばらつきが起こるので何らかの調整が必要となります。このため、本学科での配属は
「学生の希望、研究室への適性、GPA、習得単位数等」を総合的に判断する
という申し合わせになっています。ここに「GPA、習得単位数」が入っているのがポイントです。これら、成績情報を使った調整は後期の成績が確定した後でないとできないのですから。
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先の江頭先生の「地震と夏みかん」に、大地震発生直後は電話が通じたが、その後通じなくなった、という話しが記載されていました。
大地震などの災害発生時に電話回線が混雑し、つながらなくなる現象は「電話網のふくそう」と呼ばれます。NTTのWeb Pageには:
「交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のことを「ふくそう」いいます。ふくそうは、電話がつながらないことにより相手につながるまで繰り返し電話をかけ直す行為により増大します。」
「このふくそうが集中的に発生すると、交換機の処理量も比例することとなり、電話の接続処理が滞るだけでなくやがては交換機処理自体が停止してしまう恐れがあります。このような状態が発生する前に異常を検知し、交換機の処理を守ると共にふくそう状態においても最低限の通信(警察、消防などの重要な通信)を確保するように必要な制御を行います。」
と書かれています。
(https://www.ntt-east.co.jp/traffic/congestion_flow_index.html)
地震や災害発生時に、家族以外の方へ、心配だからと外部から「大丈夫だった?」と知り合いに尋ねる行為、不要不急の電話は控える方が良いようです。
2018年6月18日07:58の「大阪北部地震」のとき、東大阪市に住んでいる、うちの大学院1年(応用化学)の長男の安否確認のために、電話をしたかったのですが、このような通信トラブルを招かないようにメールでの安否確認に留めました。
07:59「オヤジです。地震、大丈夫か?。返信よこせ。」
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東京工科大学では月に一度、八王子キャンパス、蒲田キャンパスでそれぞれに「全学教職員会」と称した講習会を開いています。講習会の内容はネット回線で二つのキャンパスの間で共有されています。学長が大学の運営方針を説明する回もありますし、各学部がそれぞれの教育目標を発表する回もあります。時には外部講師をお願いして大学の教育にかかわる最新の話題を解説していただくこともあります。
さて、今回は本学のIRセンターからの報告でした。まず「IRセンター」とは?いや「IR」とは?からでしょうか。
赤外線?投資情報?いえいえ、大学でIRといえば ”Institutional Research” のことです。で、その”Institutional Research” って何?文科省のサイトで見つけた「大学におけるIR(インスティテューショナル・リサーチ)の現状と在り方に関する調査研究報告書」を覗いてみると
様々な定義があり、実践活動も多様である。
とか。うーん、まあデータ分析を活用した大学の教育・経営の向上、といったところでしょうか。
さて、今回のIRセンター報告は学生アンケート結果報告が中心だったのですが、私自身興味深かったのは後半の「Moodle」のアップグレードについての案内とデモでした。
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2019年3月9日土曜日に、REHSEという研究会の定例研究成果発表会に参加しました。と書き始めると、「おやっ?片桐先生、ぼけたかな、前の原稿そのままだぜ」と思われるかもしれません。今回はこのREHSEという5文字略称について雑感です。
REHSEという略称は、「特定非営利活動法人 研究実験施設・環境安全教育研究会」の略称です。このようにフルネームで名称を書けば、その研究成果発表会の内容も推察できると思います。しかし、このフルネームは長くて憶えられないし、使いにくいですね。そこで、このような長い名称の略称にはしばしば英語、あるいはローマ字の頭文字による略称を使います。
でも、この手の略称は3文字くらいのものが便利で多いようです。1文字や2文字だと他の略称とかぶりやすく、4文字以上だと憶えにくくなります。
NHKは日本放送協会のローマ字からとっています。でも、今ではNHKでわかっても、日本放送協会では分からない人もいるのではないでしょうか。
NTTとKDDは混乱します。NTTは日本テレフォン・テレグラムの略です。一方KDDは国際電信電話ですね。なんで国内向けに英語を使って、国際向けを日本語にしているのでしょうか。納得しにくい者があります。
化学の世界でもこのような略称(abbrebiation)を多用します。
(自分の名前を元素記号だけで作れますか?)
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2019年3月9日土曜日に、REHSEという研究会の定例研究成果発表会に参加してきました。REHSEという略称は、「特定非営利活動法人 研究実験施設・環境安全教育研究会」の略称です。このようにフルネームで名称を書けば、その研究成果発表会の内容も推察できると思います。
最初から脱線します。
会場は東京大学工学部3号館31番教室という坂道に立つやや三角形の建物でした。建物に入ってすぐに混乱しました。地図を理解できませんでした。これは入り口階が2階だったためでした。地上からの入り口は1階であると思い込んでしまったための混乱でした。
直交した四角形の構造ならすぐに頭の中にマップが組み立てられます。しかし、廊下の曲がりが直角ではないところを2回も曲がると自分の位置を見失ってしまいます。トイレに行く時に3回も角を曲がると、元の会場に戻れなくなってしまいます。。
八王子にはじめて来た時に、やはり東西南北に混乱しました。特にこの工科大学八王子キャンパスも、微妙に東西南北とずれているために、絶対的な方向感覚を失います。さらに、土地柄高低差があるため、さらに混乱します。新宿駅は地図を見てもよくわかりません。これも階の差により複雑化していることによります。
何かの本に、行き先へたどり着くために、男性は頭の中に地図をつくり、女性は道をつながりで憶える、とありました。そのため、女性は「方向音痴」になりやすいともありました。一方自分の居場所を見失うと男性的な頭の地図は機能しなくなります。私は、確かにカーナビゲーションを地図の中で自分の現在位置を確認するために使っています。2画面にする時に左の広域図は北を上にするように表示し、右の図は進行方向を上にするように表示します。うちのナビの広域図には進行方向を上にするモードがあります。これは女性向きの設定なのでしょうか。
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3月11日、いわゆる「3.11」は東日本大震災が起こった日です。あれから8年が過ぎましたが、今でもこの日には地震に関連したいろいろな話題がでてきますね。
さて、この地震について私の個人的な記憶を書いてみよう、というのが今回の趣旨です。
2011年3月11日、まだ東京工科大学の工学部も応用化学科も設立されていない頃です。私は大阪大学の基礎工学部というところに所属していて豊中市のキャンパスにいました。地震か起こったちょうどその時間、卒業間近の学生さんと論文の修正について打合せをしていた。地面の揺れを感じて、はじめは大きな地震ではないな、と感じたのですがいつまで経っても振動が止まらない。やたらに長い時間揺れ続けていた記憶があります。(地震からかなり後になりますが、東日本大震災の地震の震動の広がりをグラフィカルに示した動画を見たのですが、震源地よりはなれた地域の方が長く揺れが続いていたようです。)
これは大きな地震がどこかであったのかも知れない。そう考えて東京の実家に電話をかけたのですが、これが普通に通じました。
大きな地震があって夏みかんが木から落ちた
これが実家からの情報です。うーん、一番大きな事件が「夏みかんの落下」であるとすれば、要する両親ともに無事だ、という事だね。
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オーストラリアの内陸部にフィールドワークに行ったら気温が43℃だった!という話はこちらに書いています。余りのことにいろんな人にこの画像を送っていたのですが、そのうちのお一人からこんな感想をもらいました。
43℃も凄いですが湿度3%というもものすごい環境ですね!
なるほど。
まず一つ断っておかなくてはならないのはこの温湿度計、実は湿度を3%まで正確に測定はできない仕様だそうです。このタイプのデジタル温湿度計では湿度が低いと「Lo」という表示になってしまうものもありますよね。
さて、それを前提としてこの「湿度3%」という値を信じるとしましょう。この湿度はどのくらいの値なのでしょうか。例えばこの写真を撮った2019年2月23日11時、東京の気候は温度10.7℃、湿度 38% でした。(これはアメダスのデータです。)と言うことは「大気中の水は13分の1程度」ということなのでしょうか。
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そろそろ卒業生の追いコンのシーズンですね。追いコンでは追い出す方も追い出される方も気が緩みます。お酒の「呑み過ぎ」になりがちです。呑み過ぎにはご用心ご用心。
さて、安全工学の講義を思い出して、まず予防対策を立てましょう。予防対策は主に幹事の役割です。荒ぶる羊の群れをどのようにコントロールするかは、幹事の手腕の見せ所です。その際、安全を第一に、楽しむことよりも優先しましょう。うちの大学の場合、そのような飲酒を伴う追いコンは学外の飲食店で行なうことになります。
1.幹事は呑むことをあきらめましょう。幹事はホスト役に徹しましょう。お酒を楽しむよりも、周りを楽しませることに喜びを見いだしましょう。高度な判断力を必要とする危機対応(局限対策)のためにも、素面(しらふ)でいましょう。車でなくても呑み会にはハンドルキーパーは必要です。
2.飲酒の会合に未成年者のいないことを事前に確認しましょう。特に部活動やサークルなど、未成年の紛れ込みやすい追いコンでの確認は必須です。未成年に飲酒させると、その会場の飲食店に大きな迷惑をかけます。必ず確認しましょう。
3.飲み放題プランを避けましょう。飲み放題だと無理して呑んじゃう奴も出ます。「ひとりビール1本、後は自分のお金で別途注文。注文の際には幹事に申し出ること。後で個々に請求します。」とすれば、無理な呑み過ぎを防げます。これまでの経験では、マーライオン事案(以下マー事案と略します)はお酒に慣れていない方が、飲み放題プランではっちゃけた時に発生します。それを防ぐためにも、飲み放題ではなく、いちいち幹事を通して飲み物を注文させましょう。
4.幹事は参加者の顔色を常時チェックしましょう。赤から紫になると要注意です。その後の白は要警戒です。そのような顔色でトイレに行ったら、付いて行きましょう。男女混合の会の場合は、そのためにも幹事は男女ペアーにしておきましょう。
5.お開きの30分前以降はアルコールの注文をやめましょう。その一杯が命取りです。暖かいお茶などで酔い覚ましを図りましょう。
特に上記3を厳密に実施すると、次回から幹事役を外してもらえます。
危機管理(予防対策)に失敗した場合は危機対応(局限対策)になります。安全工学の講義で述べたようにBCPを事前に立てておきましょう。
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私は仕事で時々オーストラリア内陸部の乾燥地帯に行くのですが、この2月末にも出張してきました。ご存じの通り、オーストラリアと日本、南半球と北半球では季節が逆転しています。日本の春も遠いですが、オーストラリアも秋には早い季節。その上、今年の夏ははじめこそ涼しい日が多かったそうですが次第に暑い日が増えてきたとか。今回、私たちが立ち寄った Leonora という町ではこの数日40℃越えの日が続いていたといいます。
さて、遊びに来たわけではありません。早速フィールドワークを始めたのですが写真の様な状況に。ちなみにこの温度計、車の中の日の当たらない場所に置いてあったものを取り出して測定しています。
この状況下で少し作業をして思ったのが表題の「Don't trust over 40℃」。このフレーズが頭に浮かんで何遍も何遍もくり返すのです。この時点で少々おかしかったのでしょうか。本来は「Don't trust over 30 (大人を信じるな!)」ですが、年齢はともかく、気温が40℃を越えると誰も信じられなくなります。中でも一番信じられないのは自分自身です。
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学位は学術称号のひとつです。しかし、教授や准教授のような職位を表しません。多くの大学教員は学位を持っています。しかし、「さかな君」のように学位を持たなくても実力を評価され大学の客員准教授をしている方もいます。さらに、会社によっては、わざわざ内地留学をさせてまで自社社員に博士号をとらせます。これは、単なる社員の福利厚生ではありません。社員に学位を持たせるメリットは会社にもあります。
さて、学位とはいったいなんでしょう?。
現在の日本では「学校教育法」という法律により「博士、修士、学士、短期大学士」を学位と定めています。この法律の第104条には、「大学(「短期大学」を除く)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。」と書かれています。さらに、「③短期大学は、文部科学大臣の定めるところにより、短期大学を卒業した者に対し短期大学士の学位を授与するものとする。」と書かれています。
高等専門学校を卒業した場合の「準学士」は第121条に「高等専門学校を卒業した者は、準学士と称することができる。」と書かれています。しかし、ここには、「学位」ということばはありません。つまり、「準学士」は称号であっても学位ではないということです。ただし、この法律の付則で「この法律による改正前の学校教育法第69条の2第7項の規定による準学士の称号は、この法律による改正後の学校教育法第68条の2第3項の規定による短期大学士の学位とみなす。」と書かれているので、準学士という称号は厳密には学位ではないけども、短期大学士の学位と見なすそうです(ああ、ややこしい)。
学位の歴史を見ると、1991年の学校教育法の改正までは大学卒業=学士も学位ではありませんでした。その時点では博士と修士のみ学位でした。だから、1983年に大学を卒業した私の「大学卒業証書=学士試験合格証書」は「学位記」ではありません。一方、皆さんの卒業式では「学位記(学士)」を渡されます。
短期大学卒業者の学位は2005年です。さらに1953年までは「博士」だけを学位としていました。だから、お年寄りは「学位」=博士号と認識しています。また、私の世代の多くの方は「学士」は学位と認識していません。この実状と認識のギャップはまだ埋まっていません。
脱線します。明治時代の太政官布告(大學令)に記載の学位は「博士」とその上の「大博士」でした。この「大博士」を国内で実際に受けた人はいません。これは、ドイツで「プロフェッソーレン(教授資格)」を受けた北里柴三郎の教授資格を当時のドイツ大使館は「大博士」と訳したことに由来すると言われています。この名残は、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の中の「クーボー大博士」という登場人物の学位称号にも残っています。
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私達の生活では様々な言葉が使われていますが,その使われ方は,ご存じの様に流動的です.言葉の流動性は,専門用語も例外ではありません.例えば,私の研究に関連した用語「陽極酸化」の英語は,はじめは”Anodizing”でしたが,現在は”Anodization”が主流になっています.黎明期から関わってきた方々からすると”Anodization”は受け入れ難い用語の様ですが,それぞれをキーワードとして文献を検索したところ,”Anodizing”は15408件,”Anodization”は43002件であり,倍以上の開きが生じていました.(ちなみに私も,”Anodization”を違和感無く使っています.)
実験に関する用語で,最近まで気になっていたものに「加温」があります.この言葉は,試料を100~200℃に維持する際に学生が使い始めたのですが,初めて聞いた時から受け入れ難い感覚がありました.私にとって,それまで使っていた「加熱」や「昇温」の方が,はるかにしっくりします.ある時,大学図書館にある国語辞典で「加温」について調べてみたところ,ただ1つの辞典が取り上げており,そこには「冷えないように温度を加えること。」と書かれていました.温度は,一般的には熱に関する尺度ですので,この説明では,「尺度を加える」という,変な意味になってしまいます.しかし,その一方,普段から違和感無く使っている「加速」も「速度を加えること。」とありますので,自分の中に矛盾を抱え,もやもやした状態となっていました.
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先日紹介した「Dollar Street」、世界のいろいろな収入レベルの人たちがどのような生活をしているのか、を多くの写真でイメージさせてくるサイトです。家族のポートレートや住んでいる住宅、調理の様子など生活のいろいろな側面が写真に撮られているのですが、その中の1つが「歯ブラシ」でした。
収入レベルの高い家庭では電動歯ブラシが写っている所もありましたが、最も広い収入層で使われていたのはプラスチック製の歯ブラシ。中所得高位層、中所得低位層では家族1人1人に1本の歯ブラシがありますが、低所得層では家族で共有している、というのが一般的だそうです。(これはハンス・ロスリング博士等の「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」での記述に拠ります。)
とは言えこの「歯ブラシ」、写真だけ見ていると収入レベルの差が大きくてもあまり違いが無い様に見えます。歯ブラシ自体は比較的安価なものである一方で多くの人が切実に必要としてる。だから収入レベルが低いところでも多くの家庭に置かれているのでしょう。逆に収入が少ないからといって歯ブラシにかけるお金を節約するのは、せいぜい家族で1本を共有するぐらいしか手段がない、ということかも知れません。
さて、今回のお題はどうしてもプラスチック製の歯ブラシを手に入れられないひとについて。つまり、プラスチックが発明される以前の昔の人たちがどのように歯の手入れをしていたか、についてです。