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地震と夏みかん(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 3月11日、いわゆる「3.11」は東日本大震災が起こった日です。あれから8年が過ぎましたが、今でもこの日には地震に関連したいろいろな話題がでてきますね。

 さて、この地震について私の個人的な記憶を書いてみよう、というのが今回の趣旨です。

 2011年3月11日、まだ東京工科大学の工学部も応用化学科も設立されていない頃です。私は大阪大学の基礎工学部というところに所属していて豊中市のキャンパスにいました。地震か起こったちょうどその時間、卒業間近の学生さんと論文の修正について打合せをしていた。地面の揺れを感じて、はじめは大きな地震ではないな、と感じたのですがいつまで経っても振動が止まらない。やたらに長い時間揺れ続けていた記憶があります。(地震からかなり後になりますが、東日本大震災の地震の震動の広がりをグラフィカルに示した動画を見たのですが、震源地よりはなれた地域の方が長く揺れが続いていたようです。)

 これは大きな地震がどこかであったのかも知れない。そう考えて東京の実家に電話をかけたのですが、これが普通に通じました。

大きな地震があって夏みかんが木から落ちた

これが実家からの情報です。うーん、一番大きな事件が「夏みかんの落下」であるとすれば、要する両親ともに無事だ、という事だね。

Natsudaidai

 この後すぐに「電話の繋がりにくい状態」になって実家との連絡が取れない状態になったと記憶しています。ですが、両親が無事だ、ということが分かっているので安心していることができました。

 さて、いまこの件を思い出してみると地震の後、すぐに電話を掛けた、という点が重要だったように思います。非常に大きな災害でも災害の直後にはインフラが生きているということです。

 変な言い方ですが災害によって被害をを受けたことにインフラ自身が「気が付く」までに少しの間があるというイメージです。

 より具体的に、東京大阪間の通信は設備に直接的な被害があったわけではなく、多くの人が一斉に通信しようとして回線が繋がりにくくなるわけですから、ほかの人が電話をしようと思いつく前に行動すればよいわけです。私が電話をかけたことそれ自体も通信障害の原因の一部になっているのかもしれませんが、それでもこのタイミングで両親の安否を確認できたことは非常に運のよいことだったと思っています。

 この後、私は大学の業務で缶詰め状態に。発災三日後に世間に戻ってくると「世の中が変わっていた」というのが実感です。これにもいろいろ思うところはあるのですが、それはまた別の機会に。

 

江頭 靖幸

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