« 「加温」の意味は「温度を加える」?(西尾教授) | トップページ | Don't trust over 40℃!(江頭教授) »

大学院のすすめ 番外編 「学位って何だろう」(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

 学位は学術称号のひとつです。しかし、教授や准教授のような職位を表しません。多くの大学教員は学位を持っています。しかし、「さかな君」のように学位を持たなくても実力を評価され大学の客員准教授をしている方もいます。さらに、会社によっては、わざわざ内地留学をさせてまで自社社員に博士号をとらせます。これは、単なる社員の福利厚生ではありません。社員に学位を持たせるメリットは会社にもあります。

 さて、学位とはいったいなんでしょう?。

 現在の日本では「学校教育法」という法律により「博士、修士、学士、短期大学士」を学位と定めています。この法律の第104条には、「大学(「短期大学」を除く)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。」と書かれています。さらに、「③短期大学は、文部科学大臣の定めるところにより、短期大学を卒業した者に対し短期大学士の学位を授与するものとする。」と書かれています。

 高等専門学校を卒業した場合の「準学士」は第121条に「高等専門学校を卒業した者は、準学士と称することができる。」と書かれています。しかし、ここには、「学位」ということばはありません。つまり、「準学士」は称号であっても学位ではないということです。ただし、この法律の付則で「この法律による改正前の学校教育法第69条の2第7項の規定による準学士の称号は、この法律による改正後の学校教育法第68条の2第3項の規定による短期大学士の学位とみなす。」と書かれているので、準学士という称号は厳密には学位ではないけども、短期大学士の学位と見なすそうです(ああ、ややこしい)。

 学位の歴史を見ると、1991年の学校教育法の改正までは大学卒業=学士も学位ではありませんでした。その時点では博士と修士のみ学位でした。だから、1983年に大学を卒業した私の「大学卒業証書=学士試験合格証書」は「学位記」ではありません。一方、皆さんの卒業式では「学位記(学士)」を渡されます。

 短期大学卒業者の学位は2005年です。さらに1953年までは「博士」だけを学位としていました。だから、お年寄りは「学位」=博士号と認識しています。また、私の世代の多くの方は「学士」は学位と認識していません。この実状と認識のギャップはまだ埋まっていません。

 脱線します。明治時代の太政官布告(大學令)に記載の学位は「博士」とその上の「大博士」でした。この「大博士」を国内で実際に受けた人はいません。これは、ドイツで「プロフェッソーレン(教授資格)」を受けた北里柴三郎の教授資格を当時のドイツ大使館は「大博士」と訳したことに由来すると言われています。この名残は、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の中の「クーボー大博士」という登場人物の学位称号にも残っています。

Img

 このように、学位は性格的に、資格や免許というよりも、社会的地位を表す「位」に近いものです。正しくありませんけども、博士や修士や学士という呼び名は、その位の格を示します。旧華族の「公爵」「伯爵」「男爵」のような格付けに相当するものでしょうか。

 旧制大学の学位は国により裏付けられていました。それゆえ、当時は博士号を一代限りの位であり、継承できない爵位のようなものと見なしていました。「末は博士か大臣か」と言う表現で伺われます。

 戦後、新制大学になってから、その裏付けは学位授与機関により行なわれることになりました。そのため、「学位規則」という学位の使い方について記載されている法令を遵守するのなら、名刺などに記載する学位は「◯◯大学 工学博士」とか「◯◯大学 博士(工学)」とか記載しなければなりません。単に「工学博士」と書けるのは、旧制学位取得者のみです。しかし、それを守っている人は極めてまれです。私も履歴書には大学名を記載しますけど、名刺には「理学博士」とだけ記載しています。

 ところで、学科の先生方の中で、「◯◯博士」は私ともう一人だけになってしまいました。他の先生方は皆「博士(◯◯)」です。

 

 今は同世代の約半数は学位を持つようになり、その価値は相対的に下がってしまいました。しかし、本来、学位はその人の学術に関する「位階」を表す称号です。日本ではあまりrespectされません。しかし、階級社会のヨーロッパなどでは、博士は一代限りの位階としてまだそれなりにrespectされます。1998年に私の滞在したイギリスの大学では、博士号を持つ先生と持たないスタッフや学生の食堂は異なり、食器の格も異なりました。

 没落華族の爵位では飯を食えないように、学位だけでは飯を食えません。

 また脱線です。イギリスでは爵位を金で購入できるようです。機内情報誌の広告に「Loadの位を売ります」とありました。しかし、そのメリットとして記載されていたのは、「名刺に「Load ◯◯<地名>」と書けます、とか「種々の契約書に「Load ◯◯<地名>」と書けます」という、実益を伴わないものでした。もちろん領地は付随しません。それにもかかわらず高価なことなど、いろいろとびっくりしました。

 学位そのものは自分の社会的な立場や役割を自覚させるための「矜持」のようなものでしょう。それに付随するその人の学術的な能力を保証する機能はあっても実力そのものではありません。

 なにより大事なのは学位という矜持(プライド)を持つ者の、その矜持に似合う実力です。身の丈に合わないプライドは身を滅ぼします。大学院は、その実力を身につけるチャンスを提供する場です。

 

片桐 利真

« 「加温」の意味は「温度を加える」?(西尾教授) | トップページ | Don't trust over 40℃!(江頭教授) »

授業・学生生活」カテゴリの記事