書評「毒ガス帯」(江頭教授)
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「コナン」というと昔は筋肉ムキムキの蛮族か異様に身体能力の高い少年のことだったのですが、最近は「見た目は子供、頭脳は大人」な探偵と言うことになっているのでしょうか。今回はその名前の元になったという作家、コナン・ドイルの小説「毒ガス帯」について紹介したいと思います。
この作品のテーマはズバリ「人類滅亡」です。
ある日天文観測データの異常から地球全体が今までと違う状態にある宇宙の領域に入り込もうとしていることに気がついた科学者。その状態変化は人間、いや全ての動物に対して致命的な影響を与えることが予想された。科学者はかつての冒険旅行の仲間達を呼び集め、変化の影響を緩和する酸素ガスによって十数時間の間、延命を計る。彼らの元に人類の最後の情報が次々ととどけられ、やがてその情報も途絶えた後、最後の酸素ガスボンベがそこをつくのだが...。
というストーリー。この「冒険旅行」というのは同じくコナン・ドイルによる「失われた世界(ロストワールド)」で描かれた恐竜の生き残った秘境への冒険譚のこと。つまり、この「毒ガス帯」は「失われた世界」の続編なのです。
なぜわざわざこの小説を紹介しようかと思ったのかですが、これは以前の記事(「2050年人類滅亡!?」釣りタイトルもほどほどに、という話)でも紹介したように「人類滅亡」という事象について少し真面目に考えて見たいと思ったからです。
著者のコナン・ドイルはおそらく1つの思考実験として「人類滅亡」という状況を作ろうとしていたのだと思います。別に人類が滅亡するかもしれない、という可能性を真剣に気にしていたわけではないでしょう。しかしこの設定は「人類滅亡」に直面したとき人がどのように感じるのか、最後の数時間でどのように行動するのか、また滅亡が確定した後の視点でそれまでの人類の営みがどのように感じられるのか、といった小説的に面白い要素が盛りだくさんです。
この小説が発表されたのが1913年と言いますからすでに100年以上前です。当時の自然科学と工業技術の水準では人類の力によって人類が滅亡する、というリアルな状況を設定することができなかったのでしょう。この小説でコナン・ドイルが設定したのは宇宙を満たしている光の媒体が変質する、つまり宇宙レベルでは物理法則にムラがあり、その影響で動物の神経系の活動が維持できなくなるという設定でした。かなり突飛というか無理のある設定です。でも「人類滅亡」というシチュエーションを考えるにはそのぐらいの飛躍が必要だったのです。
「人類滅亡」が自然に起こる、というのは普通には考えがたい話ですが、現在「人類滅亡」がこんなにもカジュアルに語られる概念になったのは、やはり実際に人類を滅亡させるだけの能力を人類が得た(核兵器を量産した)ことが原因なのだろう。そう思って久方ぶりに本書を読んでみたのでした。
最後にこの小説の中の印象的な部分を1つ。件の科学者がアメーバがこの宇宙の状態変化に対して影響を受けずに活動を続けていることを発見して狂喜乱舞する、という展開があります。主人公の新聞記者はその理由が理解できないのですが、科学者はアメーバが生きてゆけるなら生物全てが死滅するわけではない。やがて新しい人類が進化することもあるだろう、と説明するのです。そのレベルでも「希望がある」と感じられる感覚は、ある種科学の普遍性につながるものの様に感じられるのです。
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