授業に原稿はない!(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
いや、中にはちゃんと授業の原稿を用意してそれを読み上げている先生もいるのかも知れません。とはいえ普通は、少なくとも私は、原稿なしで授業をやっています。一コマ90分の授業、下手をすると映画一本分の時間を原稿なしのアドリブでやるわけですが、それでも大した苦もなく毎年基本的には同じ話ができる。年によって話の流れが変わったりすることはありません。(時間が延びて尻切れトンボになることは、時にはあるのですが...。)これは別に私の特殊能力というわけではなくて、多くの教師が普通にやっていることです。
でもよく考えるとこれはかなり不思議なことなのではないか。出所を失念してしまったのですが、このような能力についての研究を紹介した文章を読んだことを思い出しました。研究では琵琶法師が語る「平家物語」を題材として、琵琶法師が話す「平家物語」の内容をたくさん集めて比較検討した、というのです。たしかその結論は、
(1)琵琶法師の語る「平家物語」はその都度微妙に変化している。
(2)しかし、どの語りでも必ず一致している部分がいくつかあって、その部分は揺らぐことがない。
(3)琵琶法師はその一定している部分だけをハッキリと記憶していて、その間を無理のないようにつないでゆくことで長い物語をコンパクトに記憶していると考えられる。
というものでした。だとすれば、
(4)一定している部分が物語のキーポイント、クライマックスなどに相当しているのではないか。
と思うのですが、先の文章がここまで言っていたかどうか、ちょっと定かではありません。
さて、なんでこんな話をしているか。そろそろ本学科の卒業研究の中間発表会があり、学生さん達の発表練習を聞いていてこの話を思い出したのでした。
よく「発表では原稿を読み上げるのではなく、聴衆を見て話しなさい」などのアドバイスがあります。原稿をまるまる覚えれば読み上げる必要はなくなりますが、普通の人はそんなことはできません。発表練習を重ねて行くと自然と琵琶法師方式の「要点を覚えて間をつなぐ」という記憶の形に落ち着くのではないでしょうか。
これは記憶しやすい、という効率の問題ではありますが、同時に「覚えるべき要点」は何か、を考えることにつながるはずです。平家物語なら要点がどこかは教えてもらえるのですが、自分の発表ではどこが要点かは自分で考えて決めなくてはなりません。そのプロセスが発表する内容への理解を深めることにもなるはずです。
「原稿を読み上げる」発表は要点がわかりにくい、と言われます。それに対して琵琶法師方式のでは要点がハッキリと自覚されている点で、分かりやすい発表になるのでしょう。これは単に言い方・しゃべり方の問題ではないのだと思うのですが、如何でしょうか。
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