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「天気の子」を観てきました。(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 この記事は応用化学科教授の江頭が前半はネタバレ無し、後半はネタバレ全開(それほどでもない?)で「天気の子」について語るブログ記事です。

 夏休みに入ったので話題の映画「天気の子」を観てきました。

 この映画、予告編の最初に

「あの日私たちは世界の形を決定的に変えてしまったんだ」

という台詞があるのですが、これ、実は現実世界にも当てはまりますよね。「あの日」は産業革命の始まった18世紀後半のいつか。「私たち」は70億人の人類全体と解釈すれば「私たち」の活動によって大気中の二酸化炭素濃度が上昇し、それによって気象という「世界の形」を変えてしまった、という意味では現状をそのまま表現している訳です。こういう見方をすると「天気の子」の物語は気候変動問題のメタファーに見えてきます。

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 物語の詳細については述べませんが、この映画は「誰かの犠牲によって気象を元に戻せるとしたら、その人を犠牲にすることは正しいことなのか」という問いかけとも理解できます。気候変動問題に読み替えれば「Planet」(地球環境)のために一部の「People」(人間)を犠牲にすることは許されるのか、という問となります。


 この映画の結末で主人公は「狂った天気を正すために、その人を犠牲にすること」を拒絶します。そして狂った天気を受け入れることを東京に住む多くの人に強いることになるのですが、「天気なんて昔から狂っていた」「人と自然の長い歴史から考えれば大したことではない」と言われます。東京に住む人々は狂った天気を受け入れていたのです。

 これは生け贄になる人間にとって犠牲となることは死を意味しているのに対し、被害を受けている側は迷惑だ、程度の問題で片づいている(様に描かれている)からこそ受け入れられる解答でしょう。とはいえ、「Planet」(地球環境)の価値は無限ではない、ということをハッキリと言い切った結末であり、思い切った結論の付け方だなあ、と少し驚いてしまいました。


 現実の気候変動問題のメタファーとして読み解けば、気候変動問題を「適応」で解決する、と言うことでしょうか。気候変動の影響が東京のような豊で農業に依存しない場所だけの問題であれば納得できる結末でしょう。ただ、現実にはそうではない場所も気候変動の影響を受ける、という点が深刻なのであって、その点でこの結末はある種の逃げのようにも思います。

 とは言えこの「天気の子」、本当に地球環境問題を扱いながら不真面目極まりなかった「デイアフタートゥモロー」よりは、おすすめです!

 

江頭 靖幸

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