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太陽電池を初めて見た時の記憶(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 新しい技術が世の中に出てきたとき、そんな時を記憶しているのは年配者の特権なのかもしれません。「生まれて初めてテレビというものを見たときは…」とか「初めて触ったプラスチックは…」とか。私の親の世代の人たちからはそんな話を聞きます。さすがに私は生まれた時からテレビもプラスチックもあった世代なのですが、それでも「〇〇を初めて見た」という経験はあります。今回のお題はそんなお話です。

 「太陽電池」という技術があることは知っていましたが、実物を初めて見たのは大学生になってからだったと思います。1年生のときの物理の実験、そのデータ整理をしているときに班の一人が太陽電池付きの電卓を持ってきていたのでした。自慢する気満々だったのでしょう。これ、太陽電池付きだから電池がいらないんだぜ、などなど。

 へーっ、それはすごい。

 班のみんなは私も含めて身を乗り出します。取り囲むみんなの陰になって件の電卓に蛍光灯の明かりが届かなくなる。それと同時にフッーと表示が消えました。そうです、当時の太陽電池の性能では十分に明るい照明のもとでなければ電卓の電源を維持できなかったのです。

 

Fx77

当時の電卓がどんな様子だったのか、はっきりとは思い出せません。こんな関数機能が豊富なものではなかったのでしょうね。

 さて、最初こそこんな頼り無い感じの太陽電池でしたがその性能はどんどん向上しました。電卓もどんど安価になってこの「電卓+太陽電池」はそれこそありふれた存在になりました。いまでは電卓の電池切れなど考えることすらない状態です。(もっともスマホの普及で電卓自体、その命脈が危ぶまれているのですが…。)

 最初はトラブルを抱えていても、技術の進歩に従ってごくあたりまえな存在になってゆく、というのが巧く行く技術といものなのでしょうか。その技術をありがたみを実感して発明者に感謝の気持ちをもつ、というのも新しい技術が世の中に出てきた時を知っていることの特権なのかも知れません。

江頭 靖幸

 

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