映画「スターウォーズ 最後のジェダイ」と三つの時定数(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
おっと、今回のネタはスターウォーズについてですがただいま絶賛上映中の「スカイウォーカーの夜明け」の話ではありません。先日テレビ放送もされた前作、スターウォーズエピソード8のお話です。
この映画の評価とか好き嫌いのお話はさておいて私としてはこの映画、どうにも変なお話だと思うのですすが、その違和感について「時定数」という観点から説明したいと思うのです。
まず「時定数」について少し触れておきましょう。厳密な定義はさておき「何かの現象が起こる時間を代表する定数」といっておけば良いでしょうか。例えば一次反応(反応速度が原料の濃度に比例する化学反応)では反応が進んで原料濃度が減るほど反応速度が遅くなり、いつまで経っても原料濃度は0になりません。ですから、反応の始まりはさておき、反応の終わりを単純に決めることはできませんが、例えば原料濃度が開始時の半分になるまでの時間をみれば早い反応、遅い反応を区別することができます。(これは「半減期」と言いますが、広い意味では時定数の一種です。)
ポイントは早い時定数の反応と遅い時定数の反応が複合的に起こる場合、その時定数が大きく異なっていれば「早い反応を考えるときには遅い反応は止まっているとみなして良い」逆に「遅い反応を考えるときには早い反応は常に平衡に到達しているとみなして良い」ということです。大きく違う時定数の現象は相互に作用しないとみなすことで簡単に取り扱うことができるのです。
さて、「スターウォーズ 最後のジェダイ」について。
この映画は三つの視点でストーリーが進みます。一つは、主人公達反乱軍の艦隊が敵のファーストオーダーの艦隊に追撃される話、つまり「艦隊追撃戦」の話。二つ目は、敵のコンピュータをハッキングするコードを入手するためにカジノ惑星に潜入する話、「潜入スパイアクション」。そして最後は、前三部作の主役から現三部作の主人公がフォースの力を引き継ぐ、「フォースの修行」の話です。
まず「艦隊追撃戦」はどのくらいの時定数の現象なのでしょうか。カーチェイスの大型版の様なもので短ければ数分、長くても数時間のお話ではないでしょうか。それ以上の時間のかかると緊張感が著しく削がれてしまうでしょう。
次に「潜入スパイアクション」これは短くても数時間、長くてもせいぜい2~3日のお話だと思います。実際「最後のジェダイ」の中では2日間のお話のように見えます。そして、この映画での「潜入スパイアクション」は「艦隊追撃戦」が始まってからスタートし、終わってから艦隊に返ってきても「艦隊追撃戦」がまだ続いている、という風に描かれていました。これだと「艦隊追撃戦」がえらく間延びしていることになってしまいます。
最後の「フォースの修行」はどうでしょうか。何かの修行なら最低でも1年、普通は数年かかるものでしょう。どんなに短くても一ヶ月を切ることはないと思います。でも、この映画では「フォースの修行」が「艦隊追撃戦」や「潜入スパイアクション」と同じ時定数で起こっているように見えてしまうのです。これはいただけない。2~3日で修行終わり、というのでは修行をしたと言うより門前払いにあった、という方が適切でしょう。そういうニュアンスもあるのですが、だとしたらなんで修行の成果で強くなっている様に描写するのでしょうか。これだと逆にフォースの力がひどくお手軽なもののように見えてしまいます。(前作「フォースの覚醒」のラストとこの「最後のジェダイ」の間に結構時間が経っていたというなら一応の説明にはなりますが、ならそんな風に描くべきですよね。)
この「最後のジェダイ」は三つの視点でストーリーが進むのですが、それぞれのストーリーが全く異なる時定数の現象を描いているという点に大きな構成上の問題がある、とうのが私の考えです。複数の視点を平行して描くという手法は、エピソード6「ジェダイの帰還」のように同じ「最終決戦」という現象を多面的に描くというなら効果的な手法だったのでしょうが、今回の様に別々の現象を描いて、さらにその時定数がバラバラなのですから、「大きく違う時定数の現象は相互に作用しない」という原則から関係ない話が三つあって無理矢理最後に一カ所に集めたように見える。それが私の感じる違和感なのです
はて「スカイウォーカーの夜明け」は観に行こうか行くまいか。どうしよう。
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