「科学者」とは誰でしょう?(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
確か大学院生だったころの話だと思います。研究室で「自分は科学者」と名乗るかどうか、という話題になりました。私が「化学工学の研究者とはいえるけれど科学者とは言いにくい気がします」と言うと先生が「アメリカなどでは意外とカジュアルに自分のことを Scientist と言うものだよ」と教えてくれました。
医者だったら免許があって国が認定された人が「医者」ですよね。でも「科学者」という名称には対応する資格というものはありません。大学の教員は理系なら「科学者」でしょうか。でも企業の研究員でもノーベル賞の吉野先生が「科学者でない」という人はいないですよね。極論すると「自分は科学者だ」という人が科学者だ、というのが一番妥当な答えなのかもしれません。
そんないい加減なことでよいのでしょうか?
私はそれで良いのだと思います。というか、そうでなければならない、とさえ思うのです。
そもそも科学がなぜ正しいと考えられるのか。それは「間違っていたら訂正する」という姿勢を貫いているからです。いろいろな問いにたいして「私はこう考える」という人達が各自、考えを発表して互いに「説得合戦」を繰り返し、納得した人が多い解答が科学の理論なのです。当然、対立する理論もあり得ますし、反対意見を述べるひともいるでしょう。新しい証拠、実験や観測の結果が表れれて、既存の理論が批判されれば躊躇なく理論を組み替えて新たな理論を作り出す、そしてまた「説得合戦」を続けるのです。
人間は直感的に正しい知識を持つことはできない、でも間違いをただし続けてゆけばいつかは正しい知識に到達できるはずだ。
科学という営為はこのような考えに基づいているのです。
「えっ、じゃあ科学が間違っていることもあるっていうこと?」その通り。科学は自分が絶対に正しいと断言せず、常に批判に対して開かれているからからこそ信頼できるのです。
さて、その科学を担う科学者に、例えば医師免許のような国家資格を求めることはできるのでしょうか。誰が科学者にふさわしく誰がふさわしくないか、を何かの組織(そして権威)が決めるとしたら批判に対して開かれているという科学の根本が損なわれてしまうでしょう。
そう考えると「自分は科学者だという人が科学者だ」で良い、というのが私の意見なのです。(あっ、間違っているという批判があれば意見を変えるのもぶさかではありませんよ。)
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