理系と文系で引用の形式に違いがある、という話(江頭教授)
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先日紹介した研究倫理についての e-ラーニングについて、興味深い指摘があったので今回はその点について紹介しましょう。一般財団法人公正研究推進協会(APRIN)提供の研究倫理教育eラーニング「APRIN eラーニングプログラム (eAPRIN)」のなかでの盗用について学習する単元。この中で引用の方法についての一通りの説明があった後で「引⽤符を⽤いるやり⽅は⽂系ではごく⼀般的ですが、⾃然科学・⼯学の分野ではむしろまれです。」という記述があったのです。私自身は⾃然科学・⼯学の分野の人間なのですが、確かに仕事関係の文章では引用符や字下げ(インデント)による引用をしていないなあ、と認識を新たにした次第。
これは一体どうしたことか。e ラーニングのテキストをさらに読み進めると、工学系の文章では引用に際して言い換えや要約がなされるべきだ、とあります。一字一句同じ文章を書くのはだめだが、一部分を選んで言葉を入れ替えば良い、というのでしょうか。
こういうと変な感じがしますがおそらく本当に言いたいのは、引用元の文章の内容を自分の頭で理解して自分の言葉で書け、ということでしょう。そうすれば元の文章のキーポイントが自分の言葉で要約されているはずだ、ということなのだと私は思います。でも、「自分の頭で」とか「自分の言葉で」という表現には客観性がないので「要約」とか「言い換え」という言葉が出てくるのだと思います。
では文系ではなぜ言い換えをしない引用符を用いる形式が一般的なのか。これは私の想像ですが、言い換えをすると意味が失われてしまうか、あるいは不正確になってしまう表現があるからではないでしょうか。
例えばこんな感じ
1987年に出版された「環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)報告書"Our Common Future"(邦題『地球の未来を守るために』)では、持続可能な開発を「将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と定義している。2020年のしかも先進的な地域に住む人々には、この定義は重点は「将来の世代の欲求を充たしつつ」という部分にあるように見えるかもしれない。しかし1987年当時の世界全体の様相から考えれば「現在の世代の欲求も満足させる」という部分にこそ主要な力点があったとも考えるべきではないだろうか。
このケースでは持続可能な開発の定義の、文字通り一字一句が重要なので適当な要約が言い換えができないわけですね。
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