人類は危機に瀕しているのか?(江頭教授)
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一体何でこんな話を...、あっコロナウイルスで人類の危機とか、そんな話か?と思った方もおられるかも知れません。実はあまり関係なくて、いや、コロナウイルスには関係あるな。
要するに、コロナウイルス騒動で人と話さないで過ごす時間が増えた分、自分の来し方行く末について考えた、というお話し。それが人類の危機と何の関係があるか、というと私が今の進路を選んだ理由がこの「人類は危機に瀕している」という認識だったのだな、とつくづく思ったからなのです。
私は1962年産まれなので子供の頃には60年代から70年代のカルチャーの中で育っています。私と同年代の人なら分かってもらえると思いますが、この時期には「人類が危機に瀕している」というモチーフが色濃く存在していたのです。それにはいろいろな原因が想定されるのですが特に大きいのは米ソ冷戦とそれに付随する世界核戦争の恐怖でしょう。世界中の多くに人々が人類の危機を現実的な恐怖として感じ取っていたのです。先に私は1962年生まれだと言いましたが、この年は米ソの核戦争の危険がピークに達したキューバ危機が起こった年でもあるのです。
核戦争の恐怖からそれをもたらした科学技術への懐疑。一時的に深刻化した公害問題に対する不安と不満が社会にあふれた状況の中で、私は子供時代を過ごしたのです。でも、どういうわけか私は「科学なんてダメだ」という方向には行かず「科学によって人類の危機を救いたい」と思う様になったのでした。楽天的な「科学感」があふれていた1950年代カルチャーの余韻がまだ残っていたからでしょうか。(例えばテレビアニメ版の「鉄腕アトム」は1963年1月1日からスタートしています。)中学から高校へと進んで科学について具体的に学び始める前から私は「科学」を仕事にしたいと考えていたのでした。
「人類は危機に瀕している」という危機感を背景として、それを解決しなければならないという使命感、そして「科学」というものに対する憧れが合わさって「科学の力で人類の危機を救う」という希望が私がこの道に進む最初のモチベーションだったのです。
さて、今回のブログのタイトル「人類は危機に瀕しているのか?」に戻りましょう。
私もいい年なので子供時代とは違います。「人類は危機に瀕しているのか?」という問題設定にたいして、まず「危機」をどのように捉えるか、がポイントだと指摘させてもらいましょう。冷戦時代の核戦争の恐怖のような人類「滅亡」の危機という意味なら、その危険性は小さいと考えています。その他の原因でも人類が滅亡、つまり1人残らず死んでしまう様な現実的な危機の原因を想定することは難しいと考えています。
要するに「全ての人が死んでしまう様な」危機には瀕していないのでしょう。その一方で「誰1人として」危機に瀕していないのか、という意味で危機を捉えるとすれば未だに「人類は危機に瀕して」いて、その解決への道のりは遙かに遠い。その意味でなら私が子供時代に憧れた「科学の力で人類の危機を救う」という事業は、端緒についたばかりとさえ言えるでしょう。私は私自身の「行く末」の中でその完成をみとどけられるのでしょうか。
おっと、ここでイントロで触れたコロナウイルスについて一言。
こんな言い方をすると問題かも知れませんが、今回の新型コロナウイルスによる感染症ですが、それだけでは人類滅亡の危機というレベルではないと思います。この感染症が野放図に広がって全世界で蔓延したとしても死亡者数が莫大になって文明を維持することはおろか存続すらできない、という事態はまず考えられないでしょう。感染症の爆発的な流行はスペイン風邪や黒死病など過去にもあった事象であり、それを乗り越えて人類はきちんと生き残っているのです。強毒性の新型インフルエンザやペストに比べて今回の新型コロナウイルスは明らかに「マイルド」です。もっとも、それが感染対策をむずしくしている事も事実ですね。
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