「やれることより、やるべきことを」(江頭教授)
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たまたま「座右の銘はなんですか」という質問を受けたのですが、そのとき咄嗟に思い浮かんだのがこの言葉です。別に慣用句でもありませんし、「古代ギリシャの賢人ググレカス」とか「京大の坂本義太夫教授」の言葉、という由緒正し言葉でもありません。その証拠に google で検索しても
「やりたいこと」「やるべきこと」より「やれること」を考える経営
と、全く反対のメッセージがトップにヒットするありさまです。
そんな言い回しですから、まずはどんな意味で使っているのかを説明しましょう。人生の、ではなくて研究に際しての判断の時に常に思い浮かべる言葉です。研究は実験や計算などの実作業が大前提ではありますが、どのように研究を進めていくか、という判断が非常に重要な意味を持っていて、時に非常に悩ましいことがあります。そんなに大げさにかんがえなくても、例えばある実験をして、そのデータを解釈して一つの結論に至る。では次にどんな実験をするべきか。考えらられる候補は一つに限らない。むしろ無数の候補からどれかを選ばなくてはならない。これはいささか単純化されていますが、こんな判断が必要になったときに「やれることより、やるべきことを」と考える様にしている、ということです。
以前、このブログの「石英管のジンクス」という記事で
1度目より2度目、2度目より3度目と同じものを作るたびにどんどん良いものが作れるようになる
そして、
技量の向上は実験を面白く感じることにもつながっています。
と書きました。これ自体は良いことです。同じ実験でも2回、3回はくり返して自分の技能を向上させ、4回、5回と再現性を確認し、6回、7回とさらに高みを目指し、8回、9回のスランプを10回、11回で克服し、12回、13回であらたな境地に...。
まあ、これは冗談にしても、人間は自然な状態なら「やれること」を続けてゆくのが好きな生き物なのだと思います。でも、それが研究にとって本当に必要なことなのか。本当に「やるべきこと」なのか。全く同じ実験を繰り返すことはさすがにないでしょうが、次にやる実験には次にやるだけの新しさがあって、充分な進展が望めるのか。その点をハッキリ意識して判断しないと研究は停滞してしまいます。
私の座右の銘「やれることより、やるべきことを」はそれを戒めるための言葉なのです。
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