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カーボンニュートラルと科学の進歩(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回の記事で核廃棄物の現実的な処理技術のめども立たないまま原子力発電所の建設を決断した1960年代の人々について「科学が進歩して問題を解決してくれる」となんとなく信じていたのではないか、と書きました。結果としてその見込みは外れ、現在に大きな禍根を残している。その意味で当時の人々は非難されるべきでしょう。

 とはいえ、その考え方、行動の仕方は過去を非難することで解消されるのでしょうか。私が懸念するのは「科学が進歩して問題を解決してくれる」という考え方が今でも生きているのではないか、ということです。

 例えば総理大臣の所信表明演説でも触れられた「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」という考え。この2050年という目標設定は一体どの程度の科学的な根拠があるのでしょうか。以前このブログ(こちら)で取り上げた「長期低炭素ビジョン」では2050年の目標は温室効果ガスの80%減となっていました。(これだって目を見張るような大胆な目標だと思いました。)なんで80%減が20%ポイント上積みされたのでしょうか。これは2017年の検討ですから4年間で状況が変わった、というなら、その状況の変化とはいったい何なのでしょう。




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 温室効果ガスの排出削減に限りませんが、目標を設定する、という行為には二つの側面があります。一つは「こうなってほしい」「こうならないと大変だ」という理想とか被害の見積もりから決まる目標。「100点をとりたい」とか「赤点はご勘弁」とか言えば分かりやすいでしょうか。

 とはいえ別の見方をすれば、それが実行可能かどうか、という側面もあります。赤点ぎりぎりのひとが翌日の試験で「100点をとりたい」という目標を立てれば、普通はちょっと待て、という話になるでしょう。話を温室効果ガス削減の戻せば、温室効果ガスの排出をゼロにするという目標にたいして、それを達成するための実行可能な計画があるのでしょうか。

 今すぐ達成することはできない。だから30年後(いや、もう29年後ですね)の2050年なのだろうと思います。ではなぜ2050年なら大丈夫だと思うのか。私には「科学が進歩して問題を解決してくれる」と思っているようにしか見えないのですが…。

江頭 靖幸

 

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