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私の考える「ハラスメントが起こる仕組み」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回の記事では私が子供の時にみた情景が切っ掛けで「かぼちゃと甲虫」のイメージに恐怖を感じるようになったという話を紹介しました。「自分でも全く理解できず、まして他人には理解も予測も不可能な嫌なことがある」というお話し。もしかしたら何かのタイミングでその恐怖がぶり返すかも知れません。これはおそらく私に限った話でなく、もし自分の何気ない行動が誰かのそんな恐怖心を刺激してしまったら、それはいじめになってしまうのでは...。

 で、私の結論はこうです。

 わざわざ難しく考える必要はありませんね。「その人に嫌な思いをさせること」はあるでしょう。そして防ぐことはできません。ですが、人間には言葉ありますから「やめてくれ」と言えばよいのです。そこで言われたら止める。もし言われてもやめなかったら、そこではじめて「いじめ」になるのです。

いや、世の中には心底意地悪な人もいるかも。という議論はさておいて、もし意地悪な人がいないとしても問題が起こることはある。それが「ハラスメント」だと私は思います。

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 学生さんが私に「かぼちゃと甲虫」の写真を見せて、というケースなら「やめて」で済むでしょう。でも逆に私が何かのきっかけで学生に示した写真に対して学生さんがやめて欲しいと思ったらどうでしょう。いや、私は心の広い人間だからオープンに言ってくれて大丈夫だよ、と私は思います。でも学生さんからしたら、それはやっぱり言い出し難いですよね。というか、私としても学生さん達とそれほどの信頼関係を築けている自信はありません。

 学生さんからみると私に「嫌なこと」をされているのですが、私に止めてくれと言えない。私の立場からは学生さんに「嫌なこと」をしているという認識がない。誰にも悪意が無くても嫌な思いをする人がでてくるというケースはあり得る。それが「ハラスメント」問題なのだというのが私の考えです。(もちろん、悪意のある人がいるケースもあるでしょうが。)

 こう考えると「ハラスメント」という問題を加害者VS被害者という枠組みで理解するべきではない、ということになると私は思います。まず、嫌な思いをしている人がいるという事実があって、その問題をどう解決するか。そのためにいろいろな対策をとることは可能でしょう。でも「言い出し難い」という初手でつまずいてしまうのですね。

江頭 靖幸

 

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