「事故の無い世界」は作れるのか(江頭教授)
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本学の1年生向けの授業「フレッシャーズゼミ」は少人数制の授業。10名程度の学生さんが先生と一緒にグループワークを中心とした課題に取り組むものですが、そのなかの安全教育の一環として「ヒヤリハット報告書」の作成が課題となっています。授業を前にこの課題を準備しながらふと考えました。はたして「事故の無い世界」をつくることはできるのでしょうか。
ずいぶん前にこのブログに書いた記事「化学薬品と爆発」がそのヒントになるかも知れません。
こちらの記事は2015年8月に起こった天津市の爆発事故をきっかけに書いたものですが、いまなら2020年の8月4日、レバノンのベイルートの港での爆発事故も類似の具体例だと言えるでしょう。貯蔵されていた化学物質による爆発事故の話題です。
まず、天津市の爆発事故、ベイルートの港での爆発事故ですが、この様な事故を防ぐことは可能だったと私は考えています。前者はシアン化ナトリウム、後者は硝酸アンモニウムが原因であると考えられていますが、いずれも不適切な取扱が原因となった事故です。このような事故に対して徹底した対策をとれば今後は事故を防ぐことができるだろう。世の中の誰もがその様に考えるはずですし、その様に努力しているはずです。
であれば、やがてはその努力が実って「事故の無い世界」が作れるのではないでしょうか。
ベイルート港で爆発したのは硝酸アンモニウムという化学肥料として用いられる物質でした。この物質が爆発する可能性があることを今の私達は知っています。しかしこの物質が爆発するということが分かったのは今からちょうど100年前の事。ドイツのオッパウという町での大爆発事故がきっかけだったのです。
このオッパウという町にはハーバー・ボッシュ法によって量産されたアンモニアから合成された硝酸アンモニウムが大量の蓄積されていました。「大量の硝酸アンモニウム」を蓄積するということは、実はハーバー・ボッシュ法が開発されてはじめて可能になったのです。硝酸アンモニウムは自然に集積するものでもありませんし、ハーバー・ボッシュ法の開発以前に大量に生産されたり収集されたこともありません。つまり、100年前のオッパウ以前には「大量の硝酸アンモニウム」などというものは存在したことがない。爆発事故を起こしたのは人類がはじめて触れた「大量の硝酸アンモニウム」、もっといえば地球上にはじめて登場した「大量の硝酸アンモニウム」だったのです。
ここまで考えると「事故の無い世界」をつくるという目標の途方もなさが見えてくるのではないでしょうか。我々はベイルートの爆発事故を防ぐことはできてもオッパウの爆発事故を防ぐことはできないと考えられます。今まで地球上に存在しなかったものの予想もできない特徴にはどうしても対策を立てることはできません。
一つだけ可能性があるとすれば「新しいものを何も生み出さない」ことでしょう。私達が作れる「事故の無い世界」はおそらく進歩も発展もない世界を意味しているのです。
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