「いじめの無い学校」は作れるのか(江頭教授)
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今回の記事は「『事故の無い世界』は作れるのか」と「『事故の無い世界』は目指せるのか」を受けてのものです。とくに「『事故の無い世界』は目指せるのか」の方。この記事では事故を未然に防ぐ取り組みとしての「ヒヤリハット報告書」の作成について触れました。(「ヒヤリハット報告書」については片桐教授の記事その1,その2,その3を参考にしてください。)
「ヒヤリハット」とは何か。言ってしまえば被害のほとんどない小さな事故のことです。でも「ヒヤリハット」がたくさん起これば一部は「軽微な事故」となり、さらにその一部は「重大な事故」になります。ですから「ヒヤリハット」を徹底的に防ぐことによって致命的な「重大な事故」を防ごうとするのです。
この考え方を流用すれば、「いじめの無い学校」を作ろうとしたら「ヒヤリハット」に相当する被害のほとんどない小さな「いじめ」を報告させてその発生を抑制することが必要だ、ということになります。
さて、皆さん想像できるでしょうか。「さあ皆さん、今週自分がやったちょっとしたいじめについて報告書を書きましょう!」いや、これはさすがに...。
世の中の風潮として「いじめは絶対に在ってはならない」ということになっているのでしょうか。何か事件が起こると「いじめ」が在ったか無かったが議論の中心になってしまいます。でも「いじめ」を「事故」と対比して考えると事故を未然に防ぐには被害のほとんどない「いじめ」と同根の現象をみつけて、その対策をとる、という方法論は有効なのではないでしょうか。例えば、
すでの事件が起こってい待った後ではなく、事前に対策をとること。
深刻な「いじめ」ではない軽微な「いじめ」は免責して存在を明らかにすること。
が実現できれば「いじめ」問題について大きな進展が期待できると思うのですが...。
問題は「いじめ」が在る・無いのゼロ/イチの判断になってしまっていること。「いじめ」が無ければ無罪放免、あれば徹底的に叩かれるとなれば軽微ないじめを隠蔽する強烈なインセンティブになってしまい、改善の糸口が見えなくなってしまいます。「事故」に対する「ヒヤリハット」のように軽微な「いじめ」を「いじめ」以外のものと認識できるような新しいことばが必要なのかも知れません。現状では「安全」に対する教育で合理的な対応が教育できていると思える一方で「ハラスメント」についての教育にははっきりとした指針が見えないように私には感じられるのです。
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