「正しい知識」はめざせるのか(江頭教授)
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今回の記事は「『事故の無い世界』は作れるのか」と「『事故の無い世界』は目指せるのか」を受けてのものです。両記事の結論として
「事故の無い世界」を無理矢理に作ろうとすれば「進歩も発展もない世界」にならざるを得ない
むしろ
「事故」を在ってはならないものと見るのではなく、実際に存在するものとして一旦は受け入れることが「事故の無い世界」を「めざす」正しい方法
なのだ、ということでした。
今回は「正しい知識」がめざすべき目標なので、上記にならって言い換えれば
「間違い」を在ってはならないものと見るのではなく、実際に存在するものとして一旦は受け入れることが「正しい知識」を「めざす」正しい方法
なのだ、となります。こういう「正しい知識」のめざし方、皆さん覚えがありませんか?
そうですね。いわゆる「科学」というものです。
「科学」の理論はどんなものでも「完璧である」とか「絶対に正しと」と断言することはできません。いや、その様に断言する人がいるかも知れませんが、ならばその人は科学者を名乗る資格は無い。科学の理論というものはもし間違っていることが明らかになれば修正されることが前提となっている。だからこそ「現時点では最も正しい」と信じることができるのです。
そして科学の理論にはもう一つの特徴があります。実験によって客観的にその理論の正しさが判定されるという点です。これは科学の理論に求められる「反証可能性」という性質です。正しいか間違っているか、実験で判定する手段のない主張は科学の理論として認めることはできません。
科学の第一歩は「間違っているかもしれない理論を作る」ことである。これを避けて正しいことが充分に分かっている事だけをくり返していれば「進歩も発展もない」ことになってしまうのですね。
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