このブログの内容を不用意に拡散しないように。必要なら必ず裏をとり、引用文献などを読んで自分で確認し、理解し、検証してから、自分の言葉として発信しましょう。他人のことばをそのまま鵜呑みにするのは極めて危険な行為です。
十分条件・必要条件ということばがあります。新型コロナ対策にはそれと同じように十分対策と必要対策を考える必要を私は感じます。これはmustでしておかなければならないという必要最小限の対策を必要対策と呼びましょう。ここまでしてあれば十分といえる対策を十分対策と呼びましょう。
リスクアセスメントによる産業事故防止対策は、「十分対策」であることを求められます。あらゆる事故の可能性を洗い出して対策します。しかし、現在、政府の国民に対して「お願いしている」新型コロナ対策は十分対策と呼べません。残念ながら、現在の対策は必ず必要と思われる対策であっても、これで十分な対策とは言えません。実際、まだ対策は十分でないから、長期的にみて新型コロナの感染拡大を人為的に収められません。何度も波がやってきています。
その対策が「必要対策」なのかどうかは国や集団、個人により異なります。日本ではマスクは必要対策という認識です。そのようなコンセンサスがあります。マスクの有効性はインフルエンザにおいても確認されています。浮遊飛沫を吸い込む可能性を大幅に確実に下げます。この対策により2020-2021年期のインフルエンザの発症数は、前の年の1/200だったそうです。また、マスク習慣の浸透している日本の2021年9月の時点での陽性者の人口比率は、欧米の1/10程度であることも、このマスク習慣の有効性を示唆します。しかし、欧米ではマスクは必ずしも必要対策と認識されていません。
2020年10月になって、CDCは「「COVID-19 can sometimes be spread by airborne transmission」と言う声明を注意喚起のために出したそうです[https://www.asahi.com/articles/ASNBB3GMWNB8UBQU003.html]。
ここで「airborne transmission」は機械翻訳では「空気感染」と訳されますが、日本の専門用語の空気感染=飛沫核感染、だけではなく、飛沫感染やアエロゾル感染などの、空気層を媒体とする感染全てを意味する広い概念です。日本では当たり前に理解・認知されている感染経路です。
少し脱線しますが、2021年8月27日の新聞報道で「「コロナは空気感染が主たる経路」研究者らが対策提言」という記事が出ました。CDCが「空気感染」の可能性を認めたという記事です。その記事に添付されている報告書の写真には、やはり「airborne transmission」と書かれていました。この記事が日本で紹介されると、「新型コロナは(飛沫感染だけではなく)空気感染を起こす」という誤解を招く記事になります[https://news.yahoo.co.jp/articles/694fc9ee7cb1a79c830e23126ba994f8ca93f64a]。日本で当たり前に認知されていることは、アメリカでも当たり前であると考えたのでしょう。
日本では当たり前のマスクによる飛沫感染防止が、アメリカでは少なくとも2020年10月まで当たり前ではなかった。マスクの着用は必要対策になっていなかった、ということです。日本の記者さんは、マスクは当たり前という前提でCDCの記事を読んだのでしょう。その上で空気感染対策が必要と考えてしまい、あたかも日本では対策できていない感染経路があるように誤解してしまったのでしょう。
確かに、アメリカ大統領選挙の集会で、トランプ氏はマスクにしておりませんでした。必要対策の認識はTPOや国などの地域、果ては人により大きく異なるもので、任意性を持ちます。
十分対策を提案する必要性
2020-2021年期のインフルエンザの激減(おおよそ1/200)に比べ、新型コロナの感染拡大は著しいものです。これは2021年3月15日の予算委委員会での尾見会長の言われる「見えない感染源」によるものでしょう。
専門家は自分の守備範囲で問題を理解しよう、解決しようとします。そのためウイルスの専門家は感染の拡大収束をウイルスの性質に帰そうとします。ワクチンの専門家は高くなってきたワクチン接種率によると仮定します。公衆衛生の専門家は人の流れや行動様式に帰そうとします。しかし、真の感染拡大・収束の原因はそれ以外の要素であるかもしれません。専門家であるが故に、専門家の仮定する感染拡大・収束の原因はその専門分野のうち側に仮定され、その対策はその分野での必要対策になります。
新型コロナ禍を根絶するための「十分対策」の立案には、安全工学的なリスクアセスメントの視点が必要です。学際的な多面的な視点が必要です。多重的ではなく、ありとあらゆる可能性からの多面的な対策立案が、今、もとめられています。
私はこのブログで経皮接触感染、汗腺からの感染の可能性を示唆しました(2021.1.21 http://blog.ac.eng.teu.ac.jp/blog/2021/01/post-90684f.html)。しかし、実際に安全工学誌に公表した論文の共著者で論文の作成を指導してくれたY教授は、そのような経皮感染の可能性を論文に記載することに反対されました。Y教授はその分野の専門家であるが故に、情況証拠という弱いエビデンスによる仮説に基づく対策案の公表を学術的にはばかりました。確かに、学術の世界ではtoo much speakingを行なう者はbig mouseと呼ばれ、蔑まれます。専門の研究者は自分の口から出ることばにどうしても慎重になります。私も化学の研究者の端を汚す者として、自分の専門でのtoo much speakingは自制し避けます。
一方で、このような姿勢は、例えば原子力の安全の実務では許されません。原子力の安全では、考えられる・想定される全てのインシデントの可能性を疑い、それぞれに十分な対策を講じることが求められます。全ての事故の可能性は公に検討されるべき課題です。同様に安全の実務者・担当者はあらゆる可能性の検証と伝達を求められます。そして、それぞれ可能性のあるリスクに対して、たとえそのリスクの発生のエビデンスに乏しくても、適切な対策を施すことを求められます。そして、日本の産業安全はこのような十分対策で支えられています。同様に、新型コロナの感染を完全に食い止めたければ、十分対策を行なわなければなりません。
リスクアセスメントはそのような事故の可能性を体系的に洗い出す作業です。リスクアセスメントは対策を十分対策に近づけるための手法です。しかし、リスクアセスメントも人の思考に頼っている限り完璧なものにはなりえません。福島第一原子力発電所のように想定外は必ず残ります。十分対策やゼロリスクに近づくことはできても達成することはできないと考えるべきです。
このブログの内容を不用意に拡散しないように。必要なら必ず裏をとり、引用文献などを読んで自分で確認し、理解し、検証してから、自分の言葉として発信しましょう。他人のことばをそのまま鵜呑みにするのは極めて危険な行為です。
片桐 利真