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俳句とブログ(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 以前、他の大学に居た頃の話です。コロナなんか無かった時代ですから、卒業生主催の謝恩会や職員の忘年会など、いろいろなパーティーがありました。さて、そこでときどき挨拶にたつ偉い先生、このひとが実に話が長い。ごちそうをまえに待たされるのはつらいし何とかならないか。お恐れながら先生は話が長い、と切り出すのも憚られるし。などと思っていたらその先生がどうやら俳句をはじめた、という噂が。これは良い!きっと話が短くなるに違いない。

 私自身は俳句というものとは全く縁が無いのですが、一体何が良いのだろう。「会心の一句」でこころスッキリ!ライバルと切磋琢磨して「俳句王に、俺はなる!」いや「ゴムゴムの 俺はなるなり 俳句王」とか。(季語がない!)

 まあ、冗談はともかく、俳句をたしなむ人が挙げる魅力の一つに感受性がするどくなって活き活きとした毎日が送れる、ということがあるそうです。俳句というアウトプットを常に意識しているからインプットの感度も上がる。その影響で自分のアクティビティも向上する、ということでしょうか。

 なるほど。そういえばそんなものが私にもあったぞ。そうだ、このブログを書くことだ!

 

Haiku

 さきほど「アウトプットを常に意識しているからインプットの感度も上がる。その影響で自分のアクティビティも向上する」と書きましたがブログというのも同じこと。毎週5回、定期的にブログをアップデートしよう。そう考えると、初めのうちはそれなりに書きたいこともあるのですがだんだんネタが尽きてくる。目にするもの、耳にするもの、なんでもかんでも「これはブログの記事にならないか?」という観点で見る癖が付きました。おかけで活き活きとした毎日が送れているかな、などと思います。

PS:「俳句をはじめた偉い先生」のその後の話。

 件の先生、ご挨拶を、と言われて

今日、私が詠んだ一句です…。

あ、これで短くまとめてくれるんだ。と、思いきや、

ここで詠んだ情景は…

それから延々とその句の解説が続きました。残念!

江頭 靖幸

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