二酸化炭素の環境基準は何ppmが相応しいか(江頭教授)
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前回の記事で温暖化問題の大きな割合を占めている化石燃料の利用をフェードアウトさせるには国家による人為的な介入が必要だ、という考えを説明しました。では、その「人為的な介入」とは具体的にどのようなものになるのでしょうか。
政府がいきなり「今後化石燃料は使わない」と宣言したとしても、それだけでは何の影響もないでしょう。化石燃料を利用しているのは別に政府ではなく、民間の企業と一般の国民なのです。企業や国民が政府に「忖度」してくれるとはとても思えません。やはりここは何かの手法で強制しなくては。
目的を企業や国民の活動を制限して有害な物質を大気に排出させないこと、と考えるとこれには先例があることに気が付きます。そう、昭和43年、1968年代に公害問題を解決する際に作られた法律のひとつ。大気汚染防止法です。化石燃料の燃焼から発生する硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)を規制する法律ですから、これに二酸化炭素の期制も加えてはどうでしょうか。
大気汚染防止法では大気汚染の原因物質に対して環境基準を定めています。では二酸化炭素の環境基準を…どのように設定すれば良いのでしょうか。二酸化炭素の濃度は多少の変動があるものの地球全体でほぼ同じ値になっています。例えば290ppm(産業革命前の濃度)を環境基準とさだめたとしてもほぼ満たすことはできません。一方で現在の値よりも高い430ppm以上に設定するとこの環境基準はほぼ自動的に満たされてしまいます。
そもそも環境基準は公害を防ぐための努力を促進するためのものです。いわば実力を見定めるためのテストのようなもので誰でも満点がとれるような簡単過ぎるテストでは意味が無い。そして誰がやっても零点しかとれないような厳しすぎる基準でも同じ事なのです。要するに「満たされたり満たされなかったり」することが肝心で、そのバラツキに応じて対応の優先順位をつけるわけです。
環境基準が満たされなかった場所ではその原因を究明して対策を打つ。その場所で環境基準がみたされたなら次の場所が対象に。これをくり返してゆけば全ての場所で環境基準が満たされるようになるはずです。でも対策の手を緩めるわけにはいきませんから、今度は環境基準自体を見直す(厳しくする)ことでさらに次に優先されるべき場所を選定するのです。環境基準をさだめることによってこのような改善のプロセスが進むことが期待されているのですね。
そう考えると二酸化炭素の環境基準が定められていない理由がわかってきます。我々は地球全体でほぼ同一の「二酸化炭素濃度」を共有しています。ですからほどよく環境基準を設定してもその基準が満たされる・満たされないということと、その場所における企業や国民の活動との間に直接的な関係があるとは思えないのです。二酸化炭素濃度が高かった場所にかならず二酸化炭素の排出源があるわけではない。場所を区切った対策が意味を成さないなら優先順位を決める意味もないことになります。
要するに「二酸化炭素の環境基準」として相応しい値は無い。というか、二酸化炭素の期制として環境基準は相応しくない、ということなのですね。
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