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「気候変動問題の解決」とは(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 NHKのBS1では海外のニュースが定期的に放送されていて、私も時間があるときは見るようにしています。2月16日の放送されたドイツ「ZDF」のニュースでは過激な環境保護活動が物議を醸している、というニュースが。高速道路の出口に座り込み、自らの手を接着剤で路面のアスファルトに貼り付けることで「食料品を無駄にしない法律の制定」を求めるのだとか。うーん、そこってそんなに重要なんでしょうか。

 おそらく本人達は至って真面目、本気で重視しているのでしょう。なんでも「自らを気候変動問題を解決できる最後の世代」と位置づけているそうです。というわけで、今回は「気候変動問題の解決」について考えてみたいと思います。

 まず、人間の活動によって、少なくとも70億人から100億人になろうとする膨大な人間の活動によって気候が全く影響を受けない、と考えることには無理があると思います。でも、影響はあっても小さい、あるいは良い影響と悪い影響と半々だ、などの議論が予想されます。となれば「気候変動」の大きさや善し悪しの基準として、「気候変動」の何が問題なのかという議論が必要でしょう。

 一番極端なのは「人類の滅亡」が問題なのだ、という立場でしょう。もっと言えば70億を超える人間がすべて死滅してしまうこと。気候変動に関する予測でこのような危険性を指摘している研究は、少なくとも多くの研究者によってコンセンサスを得てはいないのが現状でしょう。そういう意味では気候変動の問題はすでに解決済み、というかそもそも気候変動は(この立場では)大した問題ではない。普通に粛々と対応してゆけば良い、ということです。

 では、もう一つの極端なケースとして「誰一人犠牲にしない」という目標はどうでしょうか。これは、気候変動によって死ぬ人が一人でもいれば問題だ、と言い換えることもできるでしょう。

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 気候変動によって直接に人が死ぬわけではない。しかし極端な大雨による災害での犠牲者、夏の高温、冬の厳寒によって亡くなる人はいる。そして、その原因の一端は地球温暖化にある、とは言える。ですから「気候変動によって引き起こされた現象によって死んだ人は一人もいない」という主張も極論で、多くの研究者の支持は得られないでしょう。こちらの極論からすれば「気候変動問題の解決」にはすでに失敗している。この先、さらなる死者の発生を防ぐ(文字通り一人として死なせない)ことも絶望的であるように見えます。

 結局、いつものように真実は両方の極論の間にあることがわかります。ならば「気候変動問題の解決」について考える時、どの程度の被害が出たら気候変動問題の解決が失敗したことになるのか、もっと有り体に言うならば、いったいどのくらいの人間の死を受け入れられるのか、という判断が必要になるでしょう。

 最初のニュースに出ていた速道路の出口に座り込む活動家達が「自らを気候変動問題を解決できる最後の世代」と宣言して超法規的な手段に訴えたとき、彼らはどの程度の数の人間の死を想定して自らの行為を正当化したのでしょうか。そして彼らは「議会制民主主義と法の支配」というシステムを危険にさらすことについて、どのように考えているのでしょう。

江頭 靖幸

 

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