有無を言わせぬ新技術(江頭教授)
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こちらの記事で「無公害で安価な無尽蔵のエネルギー源」が開発されれば「カーボンニュートラル」な社会が簡単に実現する、ということを書きました。ややふざけた調子の文章なので何を無責任な、と思われた方も居るかと思います。今回は同様の内容について少し真面目に書き直しておきたいと思います。
まず「無公害で安価な無尽蔵のエネルギー源」が発明される、という話。これには前例、は当然無いわけですが、よく似た例はあるのです。もったい付けずに言えば「石炭から石油へ」のエネルギー転換です。もちろん、石油は「無公害」でも「無尽蔵」でもありません。でも実際に石炭から石油への転換が起こった時期の感覚はどうだったのでしょうか。石炭と比較すれば石油はクリーンで使いやすいエネルギーに見えたことでしょう。そして1960年ごろには現実に「安価」なエネルギー源となったのです。
「中東で大規模な油田が見つかった」ということをイノベーションと呼ぶべきかどうかは意見の分かれるところかも知れません。でも、その石油を全世界に供給するネットワークを作り上げたこと、それによって安価に石油を供給できる体系を技術的にも経済的にも築き上げたことはイノベーションという言葉に相応しいことだと思います。
そういう意味で「石炭から石油へ」の転換は石油を安価に供給する「有無を言わせぬ新技術」によって実現したものだと言えるでしょう。このように、社会で主流となるエネルギー源が転換する場合には「有無を言わせぬ新技術」が出現して新しいエネルギーの方がメリットのある状況が実現することが、少なくとも今までは、唯一のパターンだったと言えるのではないでしょうか。つまり、社会は新技術の登場によって変化するものなのです。
では、今回の「2050年までにカーボンニュートラル」という目標を達成させる「有無を言わせぬ新技術」は存在するのでしょうか。
現時点ではそのような「有無を言わせぬ新技術」がある様には見えません。現在の石油、石炭、天然ガスといった化石燃料と比べたとき、価格や使いやすさ、信頼性において再生可能エネルギーが「有無を言わせぬ」レベルに達しているとは言えないでしょう。
ただし、石油、石炭、天然ガスの優位性のかなりの部分が「今まで使われてきた」ことが原因なのではないか、とも考えられます。現在の技術レベルはそのままで、産業社会をゼロから設計し直せるとするなら、現在の化石燃料をつかって成り立っている社会と同じように再生可能エネルギーによって成り立っている社会もサステイナブルに存続できる、という可能性は高いと思います。
とはいえ、2050年と期限を切って再生可能エネルギーによって成り立っている社会への移行を人為的に進めよう、という試みは果たして可能なのでしょうか。可能だとして社会に対する副作用はどの程度のものなのでしょうか。
将来的に再生可能エネルギーによって成り立っている社会が実現される可能性はかなり高いと思います。しかしその社会の変化を人為的に加速するということに対しては、私個人はかなり懐疑的です。
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